実家から自転車で行ける場所にある古書店「万歩書店」が、古書好きな人にとっては
県外や地方からわざわざ赴くべき有名な場所であるということを初めて知ったのは
大学の時のサークルの先輩が、京都からわざわざこの店を目的に岡山を訪れたことが
切っ掛けであったように思います。

万歩書店

「有名な古書店なんだ」と知った後も、取り立ててピンと来たことがなかったのですが
今回、妹に誘われて改めてゆっくり訪れてみて、心から圧倒されたので
ここに書いておこうと思った次第です。
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店頭は普通の感じ。
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棚のたわみ具合にお店の歴史総てが凝縮されてる気がしました。

店内の写真は禁止とのことで、撮って来られなかったのですが、凄まじかったです。
奥行きも、本の多さも、棚に並ぶ本の内容も。二度見どころじゃないです。
今までに出版された本の大半、雑誌の大半までも揃うんじゃないかと思いました。
68年刊行以降ののガロがずらっと並ぶ棚があったと思うと
貸本屋流れの一般流通しなかった本ばかりを集めた棚があったり
水木しげるや手塚治虫に関しては、今まで刊行された全てのパターン(少年雑誌コミックス版含め)
がそれぞれに並んでいたりと、存在すら知らなかったような本が、数千円の値段ではありますが
普通に購買可能なものとして数えきれないくらいに並んで居ました。
あと、個人的に驚いたのは、70年代のアニメ雑誌の棚が圧巻でした。全部揃うんじゃないの。
こんなところの着目点でしか、万歩書店のやばさを伝えられない自分が悲しいですが。
伝わりますでしょうか。

普通の本もありました。ブックオフに並ぶようなものもあるし、新刊の漫画も並んでたりします。
漫画や雑誌に主眼を奪われてしまいましたが、古書店として文献書や学術書も店の奥に凄い量が
備えられていることが窺い知れました。

ちょっとおかしいくらいの店内の広さは230坪というから驚きます。(さらに二階もある)
真面目に少し、次元が歪んでるんじゃないかと思いました。

古書が好きな人、絶版本との出会いを求める人は、一度訪れてみて損はないと思います。
個人的な印象では、神保町を一日歩くよりも、収穫多いのではないかと思いました。

50万冊、伊達じゃないです。やばい。



蛇足ながら、今回ここを訪れた理由はというと
「こたつに入ってWiiやりたい」という私の提案に妹が乗って
「Wii本体、中古で安く売ってたよ!」ということで訪れたのでした。

ソフト梱包Wii本体セットで、9000円でした。有難うございます。
これで実家に帰ってもWiiでゲームができるようになりました。
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さて、日が暮れてきました。
最後の目的地は、1995年まで会員制喫茶室だった『にしむら珈琲北野坂店』です。
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すてきっ♡
言葉が出ません。
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何て豪奢。
何てブルジョワジー。
日が暮れて薄暗くなった店内に、沈殿するように静けさとその上に重なるクラシック。
特別に大切なお客様をもてなすための、迎賓のための空間だと感じました。
こんな場所で、お茶を頂くことが出来るって、なんて贅沢。
この場所が、一般に公開されたことって、実は凄いことなんではないかと思います。
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赤い蝋燭の炎が揺れる下で、高い脚の器に盛られたコーヒーゼリーを頂きました。
一口ごとに珈琲の香る滑らかなゼリーと、濃厚な密度の生クリーム。
添えられた果物は行儀よく切り揃えられていて、口に運ぶと瑞々しい力を感じさせました。

こんな美しいデザートを、こんな豪奢な場所で頂くことが出来るなんて。
その値段がこの800円のコーヒーゼリーだなんて、大変安いと思いました。
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ブルジョワ趣味が特にあるわけではないですが、この場所を訪れてみて
この場所に相応しい大人になってみたい気持ちになりました。
背筋の伸びた美しくて堂々とした大人に。
大人に憧れる気持ちは、大人に近づくにつれ薄れてきた感情だったですが
「格好いい大人に憧れる」という気持ちも、神戸の街の中で、育まれてきた文化の一つ
なのかもしれないな、と思いました。



この後、フロインドリーブに寄ってお土産の黒パンを買い、新幹線に乗って東京へ。
この三日間の神戸で過ごした時間は、大変楽しくて、本当に夢みたいな時間でした。

また遊びに来たいです。神戸。

神戸にしむら珈琲店
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by pinngercyee | 2012-12-17 01:27 | 神戸
サントスです。商店街の中にありました。
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「神戸の古い喫茶店の名店」として、必ず名前の挙がるサントスですが、今回初めて訪れました。
二階建ての思ったよりも広い店内。
商店街の中にあるため、ここを目的に訪れるというよりも、買い物途中に立ち寄る場所として
時代を経てきたお店なのだということがうかがえます。
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甘いものが色々あって惹かれます。

迷った挙句、ホットケーキ頂きました。美味しかったです。
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いいなあ。
神戸で育った女の子とかは、きっとお母さんとデパートに行った帰りに
ここに寄って甘いものを食べたりしたんだろうな、と羨ましく思います。
それだけで、神戸が素敵な街だって思えるくらい。

そしてこの裏手には中華街があって、高校生の頃とかに買い食いしたり
お友達と街の中で買い物のついでに、食べ歩いたりするのがきっと普通なのだろうなとか!
なんて羨ましい。

そんなことを考えたのも、元町サントスが街の中に溶け込んでいるからなのかもしれないです。

元町サントス
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by pinngercyee | 2012-12-16 23:44 | 神戸
さて、今回の神戸行脚の個人的メインの『エデン』です。
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ここも、以前京都にいた頃、友人Fに連れてきてもらったことのあるお店。
当時、雑誌に載っていた店内の写真に一目惚れした時の気持ちと
このお店を実際に訪れてみた時に感じた『エデン』の店名相応しい空気に感動した時の気持ちを
未だに覚えています。

場所は新開地。元町よりも西側の、繁華街よりも逸れた場所にあるこの駅は
エデンを訪れた時に一度下りたことのあるだけでした。
近くを今回車で通ってみて、この地域が昔からの飲み屋街であることを初めて知りました。

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久しぶりに訪れたエデンは、面影を変えることなく、私たちを穏やかに迎えてくれました。
歴史が匂う、とでもいうような場所。
昭和23年に創業して以来、神戸の端のこの場所で、人々に愛され来客を迎えたこの場所に
蓄積されてきた憩う人たちの記憶が蓄積されているように感じます。
戦後間もない時期に、これだけモダンでお洒落な店内に設えた初代の店主はお洒落な人だったのでしょう。

喋り好きらしいマスターは、私たちに写真を見せながら色々な話をしてくださいました。
創業当時のお店の前で、ポーズを付ける初代店主のお父様の写真。
神戸で喫茶店を開くことに誇りを持つということ。
学校の先生が退任してから、このお店を訪れてくれるようになったこと。

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店内の色の剥げた木の床は、歩を進めるとキイと軋む音を立てます。
60年の還暦を迎えたというこの場所は、これからどれ程の時間をこの場所で積み重ねていくのでしょう。
十年後も、二十年後も、もっと先の時間までも、この場所に変わらぬ憩いの小部屋が
『エデン』の看板を掲げて存在していくことを願わずにはいられません。

素敵な場所です。
初めて訪れた時も、十年近くぶりに訪れた今回も、期待は裏切られませんでした。
時間を感じることのできる喫茶店です。


喫茶エデン
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by pinngercyee | 2012-12-16 23:11 | 神戸
東中野silent musicで催されている金田アツ子さんの作品展『OTOMECHICA』へ行ってきました。

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仕事帰り、遅い時間になってしまって、ほぼ初めて歩く東中野の住宅の中を
地図を頼りに歩いていくと、会場となるsilent musicは、小学校先左手に上がる坂の途中に
慎ましやかに存在しているのを見付けることが出来ました。



アツ子さんと知り合ったのは、もう何年前になるでしょう。
私が井の頭公園近くの部屋に住んでいた大学生の頃、一人で時間を過ごすために訪れる
家から近い喫茶室といえば井の頭公園駅前の『宵待草』でした。
ミントグリーンとクリーム色の壁をした路面に向かう喫茶店だった小部屋は
ギャラリーになった後も、ささやかな飲み物と静かな時間を供してくれる場所でした。
宵待草を私は時折訪れては、色硝子越しの窓の外の景色、それは雨の日だったり
夏の終わりの緩慢な緑が風に吹かれるところだったり、夜の景色だったりするのですが
そういった中で、私はひとり、本を読み、手紙を書き、考え事をして時間を過ごしていました。
この場所については、閉店する折に、街はぴ内で記事を書いています。
よければそちらもご覧ください。

前置きが長くなりました。
当時の宵待草の店内奥で、長い髪を纏めて静かに給仕していたのが金田アツ子さんという
少女画家の人であることを、私は宵待草の店内で販売される少女画の絵葉書を購いながら
最初の頃は知りませんでした。
一人で宵待草を訪れている時期も、私とアツ子さんはずっと会話を交わしませんでした。
私とアツ子さんが初めて会話を交わしたのは、だいぶ後になってからのことです。
ずっとお話ししてみたかった、店の奥に空気を統べるように佇む長い髪の凛とした女性が
金田さんその人であることを、私はその時に初めて知ったのだったかもしれません。

金田さんの描く少女画の(ご本人は乙女と呼んでいるので少女画というのは相応しくないのかもしれませんが)
少女の視線の揺るぎなさに、私はずっと恋をしているのだと思います。
少女たち、と呼ぶのは間違っています。作品の中の彼女はそれぞれに一人きり(多くて二人)であり
額縁の中に存在するひとつひとつの作品の中で、それぞれのものを見つめています。
夕焼けを見つめ、遠い目をして手を振る少女。
光の中に佇みながら、迷わぬ瞳でこちらを見つめている少女。
月や闇や金魚や花々纏いつつ、柔らかい悲しみに視線を沈める少女。
窓の外の記憶の幻を見つめる少女。
そして目を瞑り、今ここにないものを想う少女。
彼女たちの、一人きりである凛とした存在と、その視線の先への慈しみや悲しみに
私は、金田アツ子さんの作品を見るごとに、息が止まる思いがします。

『少女』や『乙女』という言葉が商業的な概念を持ち、記号的なキャッチコピーとして消費される中
本質的な概念としての『少女』や『乙女』というものは、決して揺らがないものであることを
私は心強く感じます。
『少女』や『乙女』と呼ばれるものが、年若いだけの娘や過剰装飾の服を着た女性を指すのではなく
彼女たちにしか持ちえない美を見出すことのできる視線を持つ精神の清らかさが
『少女』や『乙女』という言葉の概念の核であるのだと、私は金田さんの絵を見るたびに知るのです。



本当に前置きが長くなってしまいました。
音楽家・久保田恵子さんのプライヴェートギャラリー・silent musicで催された今回の展示は
『マリア様のお庭』と題されたものに相応しく、清廉なお庭を備えた美しい場所での
素晴らしいものでした。
訪れたのが日の落ちた後だったため、お庭の写真は撮ることが出来ませんでしたが
古い映画の中で見たような70年代風のクラシカルな応接室の中に並べられた
百点にも及ぶ作品たちを見て貰えれば、それが『乙女』という概念の核を備えた
清らかな空間であることを、感じ取って頂けると思います。
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室内に置かれた大きな黒いソファー、木製のテーブルセットでは
菓子職人でもあるアツ子さん手作りのケーキと、飲み物を頂くこともできます。
私は、この場を訪れる前から決めていた『いちじくのチーズケーキ』と
イギリスから取り寄せるというエルダーフラワーシロップの曹達割りを頂きました。
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初めて嗅ぐ香りと、柔らかい不思議な甘さの飲み物で、こちらでしか飲めないとのこと。
静かな闇に沈んだ夜の時間に、相応しいものに思えて、美味しかったです。



この展示は、明日の日曜日まで催されています。
もし、この週末に時間のある方は、訪れてみて下さい。
少女の揺らがぬ視線の強さと清らかさを、そして乙女という概念を体現した作品群の抱く
強さや優しさや、柔らかい悲しみや、暖かな慈しみを、息を止めながら確かめてみて下さい。

金田アツ子作品展 オトメチカ in Silent Music〜マリア様のお庭〜
◆会期◆ 2012.9.16(日)~23(日)12時〜20時 
◆場所◆ Silent Music  中野区東中野5-11-2 (JR総武線、東中野駅から徒歩5分)
*オトメチカ洋菓子&喫茶店* 同時開催
silent music
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by pinngercyee | 2012-09-22 15:34 | 記憶
高校の通学路の傍らに、禁酒会館という名の建物があることは、当時から知っていました。

禁酒会館

古ぼけた木造りの、例えて言うなら旧校舎のような建物で、
市街地の中心部にそこだけが取り壊されずにあるのが不思議な存在であったけれど
足を運ぶ機会も理由もなかった高校生にとっては、それ以上の興味を抱く存在ではなく
私は、岡山に住んでいる間に、一度もこの建物の中へ足を踏み入れたことはありませんでした。

京都で進学した大学を三年通った後に辞め、ふらふらとアルバイトをして暮らしている時
岡山に住む有志の人の詩のイベントに誘われることがあり、私はその会に暫く所属して
月に一度の催しの際には、人前に出て、自作の詩を朗読したりしていました。

その会場は数回の後、近場のカフェから禁酒会館二階の会議室へ移され
私は月に一度の催しの際に、毎月この場所二階の部屋を訪れることになりました。

会議室という名の二階の小部屋には、古ぼけた時計と、ピアノが備えられていました。
催しのこと自体はあまり憶えていませんが、あの部屋で過ごした何度かの冬の日のことを
私は時折、断片的に思い出します。
古い学校の体育館のようだと思ったことも。音楽室のようだと思ったことも。
参加者の一人がピアノが上手で、空いた時間に次々と曲を弾いて見せてくれたこと。

夏の催しの際には、二階の会議室ではなく、禁酒会館の裏庭にある小さな野外ステージを借りて
その会は催されました。
城壁を奥にして、高くそびえる木を傍らに、夏の湿度を含んだ空気が沈殿するような
他の場所よりも少し濃い密度で、夏の夜を過ごしたことを思い出します。

半年余りの参加を経て、個人的な事情で会を辞めた後、
私はこの場所を訪れることがありませんでした。
機会もなく、また理由がなければ立ち入ってはいけない場所という認識が
私の中であったからだと思います。

それから十年近くの時間が経って、今年の春に帰省をした時、友人と会って街を歩いていて
この禁酒会館の一階が、喫茶室になっていることを知りました。

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「ちょっと寄って行ってもいい?」と友人に頼み、
この建物の中に置いてきた記憶を辿るようにして、私はこの場所に再度足を踏み入れました。

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二階の上り口の景色。時代が止まったままのような景色。

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廊下の薄暗さ。

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記憶の通りの二階の会議室。ピアノも窓も時計も、記憶のままでした。

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ステージのある裏庭に出る時の、記憶のままの景色。

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裏庭から見上げた石垣の上にあるお城のような建物。

私は当時見ていたものを確かめるように、シャッターを切りました。
記憶の中で、嘘か本当か分からなくなりつつあった景色が、今目の前にあるのだということを
写真という形で確かめたかったのだと思います。

友人は笑って付き合ってくれ、私はひとしきり写真を撮り終えた後に
彼女と一階の喫茶室で珈琲を飲みました。

喫茶室の名前は『ラヴィアンカフェ』
焙煎もしているらしく、珈琲は重さがありつつ円やかで美味しかったと記憶しています。
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ラヴィアンカフェ
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大手町に用事がある度に訪れる丸の内oazo丸善の文具売り場で
私はその日、いつものような心ときめく買い物ができないまま、
せっかく足を伸ばしてここまで来たのに、という期待を裏切られた落胆と
まだ何か、私が見ていないところに特別な出会うべきものが潜んでいるのかもしれないという
帰りたくない気持ちに理由をつけて、私は下りのエスカレータに足を進める前に
四階のフロアをぐるりと見回しました。

その右手奥。傍らに広がる輸入書・美術書の売り場とは趣の異なる一角に
先ほどエスカレータ脇の壁に書かれていた『松丸本舗』という屋号が示されていることに
ふと目が留まります。

「どうして本屋の中に本屋があるんだろう?」

入口から内部を覗き込んでみると、区画の中は天井まで伸びる高い本棚に占められていました。

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本屋や図書館などの多くの本を扱う場所で見慣れた、整理された直線的な印象はありません。
本棚はところどころ高さを凹凸させ、それ自体が前後に曲線を描いて、内側へ誘うようでした。

ところどころにテーマとなるらしい言葉が掲げられ、それに従う書物が
出版社や作家名などに関わらず、誰かの目で関連深いものが選ばれているということが見てとれます。

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歩を進めるごと、視線を動かすごとに、違うテーマに集う本たちが、私を取り囲むのを感じます。

森みたい。
そこここの場所でいろんな花が咲いて、いろんな色をした蝶たちが何万匹も集っているみたい。

そんなことを感じながら、どこに何があるのか、どこに目を向ければいいのかわからないまま
私は、本当に森の中を迷っているように、四方へ目をやり、目についた言葉に立ち止まり
それまで感じていた疲れや空腹も忘れて、曲線を描く店内を魚みたいに周遊しました。

さまざまな題材がありました。
歴史や情報学、天文学から音楽、映画、料理、生活、伝統芸能、精神学。
デカダンスにアバンギャルド。旅。
目につくものを数えてみても、数えきれないほどの題材は、森というより森羅のようでした。

「知的な大人のための、ビレッジヴァンガードみたいなものかな」
「恵文社みたいなセレクト書店なのかな」
「本当に本が好きな人じゃなきゃ作れないだろうな」
ここがどんな場所なのか、うまく把握できないまま私は店内を歩きながら
この場所をうまく説明できる言葉をぼんやりと探していました。

『少女・乙女』
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掲げられたテーマに思わず足を止めます。
『少女・乙女』は私が長らく拘泥して、自分でも手当たり次第に調べた題材ということもあり
この分野にくくられるだろう本に関しては、ある程度判断ができます。

正直、相応しくない本や私の目から見て低俗な本が含まれていれば、私は素直に落胆した筈です。
筈、というのは、その書棚の審美眼が、私の予期した以上の正確さで、私を落胆させなかったからでした。
幾百にも上るだろうテーマのうちの一つ、『少女・乙女』というものへの深い考察と正しい審美眼に
私は驚きと共感を覚えました。

そしてその、正しい審美眼への期待は、『探偵小説』の棚の品揃えで確信に変わりました。
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お仕着せの分野分けなら、これほど愛情を持った本選びができるはずもありません。
ここに集められた本たちは、愛情を持って、詰め込まれるように集められているのだということ。
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なかなか売っているところ自体見かけない新青年傑作選を取り揃え
探偵小説を書くことが有名ではない作家までを含むの探偵小説傑作選を揃えたこの本棚は
誰かの共感を待っていたのかもしれないと感じました。

私は「感動」したのだと思います。
これほど題材に、愛情を持った潔癖で正確な本選びをしている書店を
私は見たことがないと感じました。

題材に関する専門店というならば、話も分かります。
しかしこの題材の量。目で追うだけでも果てしない量の、天井まで聳える量の本たちは
この愛情を持った誰かに選ばれ、正しい場所に一冊残らず正しく収められているということ。

本棚を見れば、その人が分かると言います。
しかし、これだけの本を、これだけの分野を、宇宙のように内包している『誰か』に
この書店を作った『誰か』に、私は、ここで初めて尊敬と信頼を抱いたのだと思います。

信頼できると思うと、それまで流し見ていた分野まで、ひとつひとつ覗いてみたくなりました。
私の知らない世界を熟知した誰かの、確信のある審美眼で選ばれた
手引書であることに違いないからです。

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それぞれの棚に添えられた言葉は誰のものなんだろう、という関心が湧き
私はレジにいた書店員の方に尋ねてみることにしました。



「すいません、店内に書いてある手書きの言葉は、誰が書いているんですか」
書店員の男性は、私のこんな唐突で不躾な質問に、丁寧に答えてくださいました。

この書店は総て、『松岡正剛』という人の『千夜千冊』という読書録にある本を核にして
題材立てられ、作られていること。
書かれている手書きの言葉も、総て店長である『松岡正剛』という人の肉筆であること。

「入口に並んでいる赤い本をご覧になりましたか」
いいえ、と私が首を振ると、書店員の方は入口へ私を導いてくれました。
「これが、この書店の核になっている『千夜千冊』です」
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一冊が五センチもあるのではないかと思われるような厚さの本は総て、松岡氏が選んだ千冊を
紹介したものであるということでした。
「松岡氏は、これを書くにあたって、既読の本も全て読み返したそうですよ」
一冊一冊への紹介文を書けるだけの愛情があればこそ、という納得の傍らで
私は名前を見知っていただけの松岡氏が脳内にしまっていた宇宙の内包する壮絶な読書量に
思わず言葉を失いました。

「凄いですね……」
書店員の方は、誇らしそうに笑みを返してくれました。
「松岡はですね、こんな本屋を作ったのは、もっと多くの本との関わり方があると示したかったんですよ」
「関わり方っていうのは?」
「最初から最後まで読むことが一般的な読書ですが、本というものは
 もっと多くの関わり方ができるっていうことです。
 たとえば、開いたページを読むだけで意味のあるもの。
 飾ってあるだけで嬉しくなる美しい本。
 読もうと思って積んでいるだけで、わくわくするのも立派な本との関わり方ですし
 もちろん辞書みたいに必要な時に取り出してみるのも、一つの関わり方です」
「一行取り出して書きとったりだとか」
「そうです。それも一つの関わり方です。もっと本との遊び方を示したいということなんですね」

「なるほど、」と納得する私に、書店員の方は奥の棚を指さしました。
「あちらの棚は、松岡が好きな人たちに頼んで、彼らの本棚にあるものを再現したものなのですよ」
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『本棚を見れば、その人が分かる』ということを、逆説的にやってしまうことに
「あの人の本の並びが見たかったから」と悪びれもなく書店の中で実現してしまうことに
私は目から鱗が落ちる思いがしました。
(初めて一人暮らしした部屋は、本棚を人に見られたくないからという理由で
 大学からバスで40分離れたところに借りていた私には、耐えられないと思ったり)

「松岡は、総ては編集だと言っていまして」
「編集」
「そうです。この本の体系付けや分類や。興味の繋がる方面へ、ひとつひとつ広げていくこと」
私が目を見張った、潔癖な審美眼は、松岡氏による編集という形の産物であるということのようでした。

「本の選び方に、とても感動したんです。ここのことを、ブログに書いても良いですか」
そう尋ねた私に快諾してくださったNさん、貴重なお話を本当に有難うございました。

東京駅で下車する機会がある時。
大手町に用事があった日。
そんな時には、私は必ずこの書店を訪れるようになる気がします。
その時折々で、私の目に留まる題材は、きっとその時の私に必要な要素であるのでしょう。
まだ見ぬ何か、まだ見ぬ私にとって必然な世界への入り口を
信頼する書棚の前で、感性を研ぎ澄ませて探すこと。

そんな幸せな、本との関わり方ができる場所は、なかなかありません。



興味を持たれた方は、一度訪れてみて下さい。
予感に従って棚の間を周遊して、愛と確信を持って選ばれた本たちの中から
今の自分に必要な一冊を見つけ出す喜びを。

松丸本舗
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以前から、気になっていた場所がありました。

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飯田橋の駅前、歩道橋を渡り、UFJとみずほのATMのある場所から右手に進んで
一つ目の角を左に折れた裏通りに、その場所はあります。

『日本で初めてのパペット専門店』と掲げられたショーウィンドーの脇には細い階段があり
下から二階を見上げてみても、店内の様子は伺うことが出来ません。

(操り人形専門店、ってどんなものかしら)
(人形劇をやる人たちが出入りするお店かしら)

以前から、近くを通りかかる度に、暗い階段を覗いてみるばかりで
私は、実際にこの階段を踏みしめて上がる勇気を持てずに居ました。

失礼を承知で率直に白状すると、少し、少しですが、私は人形が怖いのです。
そう言ってしまうと、語弊があるし、決して全ての人形を怖がる訳ではないのですが
心から、何の屈託もなく、「人形が好きで」と言える人間ではないことは自覚しています。

人形という大きすぎる概念に対し、大雑把に怖いと言ってしまうのが失礼なのは分かっています。
美しい人形に目を離せなくなる経験も、恋のような感情を抱いた経験もありますが
それは自分にとっての特別な一体と向かい合う機会に恵まれた時だけで、普段の暮らしでは
私は多少、人形を避けて暮らしているといってもいいかもしれません。

そんな私が、なぜこの場所を訪れたのか。
一度通りかかって、足を止めて、階段の上を覗き込んだのか。
階段を上がらなかったその後にも、この場所のことを気に留めていたのか。

畏怖のような憧れがあったのかもしれないと、書いていて気付きました。
小説の題材には幾度か取り上げたこともある少女人形という概念。
球体関節で、姿勢を変えることが出来ると言っても自立はせず、永遠の姿の抜け殻である外形。
そういった私の中にある『人形』という概念を、この階段を上がることで
一から覆すことになるとは、階段の下で見上げていた時の私は、全く予期していませんでした。



雨の降る日に、ぽっかりと時間ができ、私は「どこか普段行かない場所へ行こう」と思い
この場所を思い出したのは、偶然ではなかったのかもしれません。

雨の降る6月の夕暮れほど、このお店を訪ねてみるのに相応しい時刻はなかったように思います。

お店の看板は掲げられ、二階へ続く階段は開かれていました。
一つ息をしてから、初めての雑貨屋を訪れる時くらいの気持ちだと自分に言い聞かせて
傘の雨を払い、階段を一つずつ登りました。

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先客は居ないようでした。
6畳ほどの小部屋は壁に沿って台が設えられており、糸で吊られた人形たちが
従順な表情で並んで居ました。
糸で吊られて立っているもの、腰を掛けているもの。
談笑しているように横を向くもの。放心しているように見えるもの。
それぞれの人形はそれぞれの表情をしていましたが、暗い印象のものは一つもありませんでした。

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人形と聞いて勝手にイメージしていた球体関節のような少女人形は殆どありませんでした。
添えられたカードにある作者名を見ると、外国の作家の作品も多く含まれている様子でした。

お伽話に準えられたもの、『赤ずきん』や『トロル』、宮澤賢治の『土神と狐』などや
デフォルメされたコミカルな表情の動物たち。
ピエロやお姫様、はたまた鬼のような面持ちのものたち。
子供の頃に読んだ、ロシアの絵本の挿絵のような顔つきのもの。

それぞれが一つ一つ、丁寧に彫刻刀で木から彫り出された四肢をもつもの。
プラスチックや石膏のような気配を見せるもの。ぬいぐるみのような布製のもの。

空調の入っていない店内で、額に薄く汗をかきながら、私は足音を立てないように
我を忘れて彼らの表情をひとつひとつ覗き込みました。
大量生産されるおもちゃ売り場の工場製の空虚なバービー人形とは違い
ここにある人形たちは、それぞれに愛情を持って作られたものであることが分かります。

私はいつしか、子供時代の頃のことを、思い出していました。
祖母の集める絵本の中で、あらゆる国のお伽話を読みました。
マザーグースにバーバヤーガ。ラプンツェルにグリム童話。ギリシャ神話に中国の昔。
ネパールの夜明けの話やミヒャエルエンデの描いた国の話まで。
テレビの中でしか知らないアメリカやイギリスと、絵本の中で知った国々の景色は
私にとって同じ距離、いえ、テレビの中の話よりも
絵本の中の景色の方が身近だったかもしれないと思います。
テレビの中にはニュースしかありませんが、絵本の中には登場人物が居て物語がありました。

それらの中で、かつて私にとっての世界だった見知らぬ国の住人たち。
日本でも、昔は忍者やサムライと同じく、山には鬼が生きていたのだと思っていたし
ドイツでは、ブクステフーデに国中の魔法使いが集まる会議があると知識として知っていた
幼少の私にとっての、世界の住人達と、大人になってから不意に出会った、という印象を
受けたように思います。

私の信じていた世界は、いつのまに、誰によって、否定されてしまったのでしょうか。
学校で歴史として学ぶ話と、伝承として残る昔話の違いは、どこだったのでしょうか。
大人になった私には、分かることでも、当時の私には、どうしても分からなかったことです。



「いらっしゃいませ」
声をかけられ、振り向くと男性が一人奥の部屋から現れました。
「こんにちは」
勝手に入って商品を覗き込んでいた決まりの悪さから視線を外して会釈をすると
男性は空調のスイッチを入れながら、
「ここにある人形は、全て動かすことを目的に作られていますから、動くんですよ」
と声をかけてくれました。

操り人形、なんだ。と思い出します。
糸に吊られた彼らの姿を見て、それでも動かない人形たちの姿を見て
私は「彼らが動くのだ」ということを、言われて初めて意識したように思います。

「せっかくだから、動かしてみますか。動いているのを見てみたいのはありますか?」
静かな口調で男性が問うてくれた言葉に甘え、私は壁際に立つ白い頬の少女人形を指しました。
切りそろえられた前髪と、長く垂らされた黒髪の、品の良い白いブラウスと黒いスカートの。
「これですね、はい」
男性は、彼女を吊るしていた取っ手を持ち上げ、定位置から彼女を床に導き下ろしました。
私はそれを、彼女がこれから動くということを、半信半疑の気持ちで見守りました。

数本の糸に吊るされていることを忘れてしまうほどに、滑らかに彼女が顔をあげました。
青い絨毯の床を、一歩、二歩。華奢な足で、まっすぐに踏んで、こちらに歩いてきます。
背筋を伸ばして、まっすぐに。
私は彼女から、視線を外すことが出来ませんでした。

スキップをしたり、うやうやしく歩いてみたり、彼女は数度の往来の後に
腰を折り、私に丁寧にお辞儀をして見せました。私もつられて彼女に頭を下げます。

「すごい、ですね……」
人形が歩くさまを、初めて間近で見たことで、私は語彙を失っていました。
それまで首を傾げたり微笑んだりはしゃいだりしていた少女は、男性の靴に腰を掛け
再び人形の表情に戻っています。

「操ってみませんか。自分の手で動かすと、神経が通うのが分かります」
手渡された木製の取っ手を、私は壊してしまわないか不安に思いながら受け取りました。

「まず、立った高さを見つけます」
取っ手を右手に持って、彼女の背後に立ち、男性の声に従って、彼女が自立できる高さを探します。
低すぎると、彼女は膝を折ったまま。
高すぎると、彼女の足が床から浮き、彼女の体重が急に重く感じられます。
取っ手を注意深く握りながら、自分の肘の折り具合で高さを探っていると
ふっと彼女が真っ直ぐに立てる高さが見つかります。

「その場で、そのまま足踏みをさせてみて下さい」
縦に持った取っ手と十字に交差する部分を親指で右にずらすと、足に繋がる糸が引かれ
彼女が片足を持ち上げました。
「そう、そのまま左に」
言われるままに親指で抑える場所を左にずらすと、彼女は足を下ろし、もう片足を持ち上げました。

「そうです、そのまま、高さを変えないようにして、左右にすると足踏みしますよ」
肘の角度を固定したまま、親指を左右に動かします。それに従い彼女は、従順に足踏みをしました。
私の手の震えは、そのままに。私の戸惑いも、彼女が従ってくれる喜びも全て
指先を通じて全て彼女に共有されていることを、確かに感じます。

「足踏みのまま、位置を前に進めると、歩きます」
私が歩を進めると、宙に浮いた彼女の足は勢い余ってブラブラと空中で大きく揺れました。
先ほど、男性が操っていた時には、まったく揺れなかったこともあり、幾分戸惑うと
「一週間も触っていると、神経が通います。触ったばかりでこれだけ動かせるのは立派ですよ」
と、声をかけられました。

男性の言った『神経が通う』という言葉は
触る前の私にとっては多少大仰に感じられたように思います。
でも、彼女を右手に従えて、私の震えも怯えも喜びも戸惑いも、全てが彼女に伝わると感じた後で
その言葉が、それ以上に正しく言い表せる言葉はないのだということまで理解できた気がしました。

「立った姿勢から、取っ手を前に倒すと、お辞儀をします」
「軽くお辞儀をした姿勢から取っ手の角度をひねると、顔が横を向きますよ」
「それから、両手は一本の糸でつながれていますから、左手で引いて」
「そうすると、自分の指先を見上げる姿勢になりますね」

私は彼女の黒髪の垂れる背中を見下ろしながら、言葉に従って彼女を操りました。
彼女は幾度かの試行の後に、首を傾げ、その指先を見つめました。

「……本当に、生きているみたいですね」
「ええ。ここにあるのは、動かして楽しむためのものたちですから」

この時、私は階段を上がる前までの、今までの人生を通じて抱いていた人形というものへの
漠然とした怖れや苦手意識が消えてしまっていることに気付きました。

「人形劇に使うためのものなのかと思っていました」
「劇に使うためには、もっと大きなものでないといけません。
 ここに居るのは、個人が操って、家でプライベートに楽しむためのものたちです」

私の右手から神経が伸び、私の感情を受け止めている少女が、家に居たら。
現在、自分の一部のように思われている少女が、再び私の手元から離れるということが
彼女を右手に従えた状態では、想像することも難しいように思われました。

「有難うございました」
一体が何万円もする高価な人形を、現実的に今は買えないということを思い出し
その感情を払拭するように、私は彼女を操る取っ手を男性に返しました。

「可愛いですね」
「ええ」
「私がお金持ちなら、彼女を連れて帰りたい気持ちなんですが、御免なさい」
「いいえ」
「また、覗きに来ても、いいですか」
「ええ、勿論。ぜひまた遊びにいらしてください」



男性にお礼を言い、壁際の元の位置に戻った少女の黒目がちな微笑みを一瞥して
私はこのお店を後にしました。

帰り道の電車の中で、彼女を操っていた右手の感触が、彼女と微かに神経が通いかけた感触が
まだ残っていることを感じました。
――この感触を、彼女と遊んだ今日の記憶を、忘れてしまわないように。
そう思い、私は彼女に会いに行くことを思いました。

例えば、親しい人の家を訪れる時、私は彼女とともに子供に会いに行きたいと思うかもしれません。
私がかつて、絵本の中の世界を信じていたように。
魔法を見ることのできる子供であるように。
そんなことを思いました。



興味が引かれた方は、階段を上ってみて下さい。
そして、目の合うものがあれば、操らせてみてもらってください。

指先に神経が通う感じ。
私は、雨の夕暮れにここを訪れなければ、一生知ることがなかったと思います。


操り人形専門店 Puppet House
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by pinngercyee | 2012-06-24 17:45 | 東京
2012年5月 京都散歩 その1に引き続き、書きます。

次の目的地は、恵文社一乗寺店
鴨川の向こう側、出町柳駅から叡山電車に乗り、三つ目の駅、一乗寺で下車します。片道200円。

出町柳の駅の近くには、私語厳禁の名曲喫茶柳月堂、その階下にあるパン屋柳月堂、
国内外のインディーズアートを取り扱うトランスポップギャラリーなど色々ありますが
今回は立ち寄っていないので、書きません。

一乗寺の駅で下車し、右手に数分歩くと、恵文社一乗寺店があります。
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そういえば、私、このブログで恵文社について、書いたことがありました。

贅沢な休日

上記の記事で書いている通り、十年前に、出町柳に暮らす大学生だったころから
私は恵文社に足を運ぶたびに、畏敬のような信頼のような気持ちを抱いていました。

静かな場所。揺るぎない清廉さをまとった場所。
お寺の庭を訪れた時に感じる涼しさにも似た荘厳さと言ってしまうと
少し大げさかもしれませんが、この場所はやはりとても特別な場所なのだと
入口のドアを押し開ける度に、歩を進めてキシキシと鳴る音を静けさの中に聞く度に
これからの人生を一変させてしまうような予感のする一冊の本や
宝物になるかもしれない小さな一つの、何か。ペンや葉書や、そんな何かを見つける度に、
その思いは強くなります。

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店は入口からすぐの空間(写真上)が、本を扱う場所になっています。
大型書店のような網羅性はありませんが、この場所に置かれる本は一冊残らず
「選ばれて」この場所に置かれているのだ、という必然性を持っているように感じます。
取り扱われている音楽や画集、絵本などに至るまで、この空間にあるもの総ては
威厳を持ってその場所に存在しているのだと感じさせられます。

本を扱う左手奥は、ギャラリーを備えた雑貨スペース。(写真中・下)
私が銀座月光荘を知ったのは、この場所でした。
美しい名前の、(例えば『夜のセーヌの青』など)控えめな色味の可憐な便箋を
五色の中から選び出して、会計に持っていった時の気持ちを今も覚えています。

写真にはありませんが、数年前の改装で、書籍スペースの右手奥には『生活館』ができ
食器や料理に纏わるものなどを扱っています。

サイトの通販から、単純な意味での買い物はできますが、
私は関西に訪れる理由ができるたびに、京都・一乗寺まで足を伸ばして、ここを訪れます。
息を潜める時の気持ちを思い出すために。
この場所で息を潜めて、耳を澄まし、自分の予感を信じて棚に手を伸ばすときの
あの少女の溜息のような感覚を忘れてしまいたくなくて。

こちらでは、今回、山田風太郎の『人間臨終図鑑』の一巻を求めました。
窓辺の冊子の配布もお願いしました。



何年か前に、恵文社の傍らに『葡萄ハウス家具工房』二号店が開店しました。
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以前は、恵文社の何本か裏手の道を迷いながら目指さないと辿り着けなかった場所が
分かりやすい場所に開店して、探しに行かなくても立ち寄れるようになって嬉しいです。

また京都に住む時には、ここで家具の一式を揃えようと思っています。
恵文社のサイトでも紹介されているように、質のいい可愛らしいアンティークの家具を
手頃な価格で扱っていて、家具はたやすく購入できないながらも
一度訪れると欲しくなってしまうようなものが沢山あって困ってしまう素敵な場所です。



恵文社を出て、北白川にあるガケ書房へ向かいます。
このルートは、直通のバス路線がなくて、時間がある時はだいたい歩くのですが
今回は時間がなかったため、タクシーに乗ってしまいました。

さて、ガケ書房です。
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ガケ書房は、私が居た当時はなかったので、私は今回みたいな旅の折に訪れるばかりに
なってしまうのですが、ここも恵文社と並んで、京都を訪れる際には寄りたい場所の一つです。

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店内は雑誌や一般書籍が木製のラックに並べられている傍らに
「可愛いもの」「面白いもの」などの雑貨や、京都の街に関わりのある音楽を集めた棚
古書を出店している古本ブースなど、広義のサブカルチャーというよりも
店主が誠実に選んだ「面白いもの・素敵なもの」が店内に集められているという印象を受けます。

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「写真を撮らせてください」と言うと、お店の方は
「あの奥に、カメが居るので、カメも撮っていってくださいね」と仰ったので
覗き込んでみると、居ました。カメ。全部で4匹居るそうです。
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ガケ書房では、友人のパラパラ漫画家TAMAXさんの作品も取り扱っているので
前回に続き、売場の写真も撮らせて頂きました。
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私はかれこれ十年くらいTAMAXさんの文章のファンで、ブログを見守っているのですが
彼女のパラパラ漫画作品も、スマートでいじわるで大好きです。『フルコース』が特に好きです。
デザインフェスタに出店したり、ガケ書房・タコシェなどのお店で取り扱っているので
気になった方は是非。



タクシーでショートカットしたため、ちょっと時間に余裕ができて
「ここ(北白川)で余裕が出来たら、迷子行くでしょ!!」と銀閣寺前まで。

『迷子』とは、銀閣寺前を南下した場所にある有名な喫茶店『GOSPEL』の一階にある
珈琲だけの喫茶店です。アンティークの品々と、質のいい面白いものを選りすぐった古本と
話好きのマスターの山本さんがいらっしゃって、行く度に
格別に美味しい珈琲を頂きながら、目から鱗が落ちるようなお話が聞けて
自分で探しても見つけられないような面白い本を教えてもらえる小部屋なのです。

京都に行くと、迷子には必ず行きたいです。時間を作ってでも。
で時間があれば、二階のGOSPELでキノコカレーも頂きたい。超美味しいの。
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GOSPELのお庭は、薔薇が満開を迎えていて、私は今が五月ということを思い出しました。
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今回、迷子店内の写真は撮ってくるのを忘れたので、また迷子については改めて書きます。
恵文社のブログに迷子の紹介記事があったので、貼っておきます。
恵文社のお店探訪

この後は、我に返って大急ぎで京都駅へ向かい
『迷子』で譲って頂いた山本夏彦氏の本を読みつつ、新幹線でした。
(19時下北沢はギリで間に合いました。)

今回は、こんな感じの京都散歩でした。おしまい。
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by pinngercyee | 2012-06-10 23:35 | 京都
さて、引き続き1日目大阪。

烏丸で阪急に乗り、なんとか梅田に着いたものの、梅田の駅前で迷い
ホテルに辿り着くまで、想定以上の時間がかかりました。

宿はホテル関西。
googleで『ホテル関西』って検索窓に入力すると
『ホテル関西 幽霊』って候補が示されちゃうようなホテルです。やってみてください。
梅田から徒歩10分くらいで、治安の悪そうな風俗街の中にある古いホテルなのですが
何と一泊3500円から。安さに負けました。
今回結論から言うと、おばけは出なかったので、おススメしておきます。
シングル3500円からというだけあって、多少狭いですが
お風呂もベッドもきちんとしてるし、良いと思います。

この辺全然写真撮ってないので、さくっと写真なしで行きます。

友人と落合い、夕方の用事まで多少の時間があったので
窓辺カードをお願いするべく、堀江の貸本喫茶『ちょうちょぼっこ』へ。

ちょうちょぼっこは、以前から存在を知っているお店だったのですが、訪れたのは初めて。
週末しか開いていないお店ということでしたが、行ったときには開いていて、良かったです。
お茶する時間がなかったのが残念なくらい、色んな本がある素敵なお店でした。
大阪は土地勘がなくて、方向感覚もわからず、迷いに迷って辿り着いたのですが
「もし大阪に住んでたら、毎週くらい通いたくなるんだろうなー」と思うお店でした。

簡単に昼食を済ませ、まだ少し時間があったので、難波まで歩いて
友人が連れて行ってくれたココアのお店『赤い鳥』へ。

全く知らなかったのですが、有名なお店だったのですね。
お店の中は、壁全面を埋め尽くすように、古今のココアのパッケージや缶が並べられて
ある意味壮観でした。
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マシュマロココアを注文。
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懐かしい気持ちになりました。今年の冬は家でも、お鍋でココアを淹れたいなとか。
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鳥かご付のケーキが、有名なようです。

*

1日目大阪編終わり。
この日の夜は、梅田の王将で餃子を食べました。
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by pinngercyee | 2011-12-18 21:48 | 大阪