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地下鉄千駄木駅を地上に上がった十字路は、団子坂下と呼ばれています。

団子坂は、江戸川乱歩が『D坂の殺人事件』のモデルにした地域であり、
また、筋肉少女帯の『GOGO蟲娘』という歌の歌いだしが「D坂あたりのGOGOクラブで」というもので
私個人だと、こちらのほうが印象が強く、平たく言えば文化と退廃と昭和の匂いのする
少しの憧れのある地名でもあります。

東京大学に近い根津から千駄木・谷中に続く地帯は『谷根千』と呼ばれ
古く小さな家が多く密集する細い小路を猫が多く歩く地域で
そこここに小さなギャラリーや古道具屋、古書店などがある、散歩すると楽しい地域でもあります。

さてそのD坂を上がった左手に、『あめ細工吉原』というお店があります。
ある日の散歩の途中に、偶然知ったお店なのですが、
私が言葉を尽くすより、動画を見て貰ったほうが早いと思うので、貼っておきます。



飴細工師さんが目の前で、熱く溶けた柔らかな飴の一塊を指先で練ると
魔法か手品のように、あらゆる物が一瞬で姿を現します。
その様は、何度見ても息を飲み、自分の目を疑ってしまうほどの奇跡のように思えます。
千駄木にお散歩の際には、少し足を延ばして、奇跡に目を見張ってみてください。

そして、このお店のキャラクター(というより主)が、上記の動画にも出てきたあめぴょんです。
あめぴょんは、ご覧のとおり、無邪気なルックスの可愛いウサギなのですが
フリーダムでデストロイなキャラクターで、知れば知るほど私はメロメロなのです。

友人に「ちょっとしたものをプレゼントして、喜ばせたい!」と思った時
私は地下鉄で千駄木まで足を延ばし、坂を上がって、あめぴょんを買いに行きます。
飴細工師さんはちょっとしたリクエストを聞いてくれるので
目の前でリクエストに沿ったこの世に一つのあめぴょんが生まれる様を見ることができます。
シンプルなもので、あめぴょんひとつ630円から。
見てよし食べてよし飾ってよしな、ある意味無敵なお土産だと思います♡
あめぴょんファンが増えることを祈って。

あめ細工吉原
東京に来てから知り合った京都出身の青年と話をしていた時のこと。
私が「京都の大学に行ってた」と言うと彼は、私に
「じゃあさ、イノダコーヒ知ってる?」と問いました。

「知ってる。よく本店に行ってたよ」と言うと、彼は
「じゃあさ、ボルセナ、知ってる?」と再度私に問いました。

「知らない」と答えると彼は幾分か落胆したような面持ちで
「イノダのスパゲティーなんだけど、頼むと銀の蓋付きのお皿で出てくるの。知らない?」と言います。

「イノダはお店もホテルみたいに上品で高級な雰囲気でしょう。お店の人も丁寧だし。
いつもよりおめかしして、家族でデパートに行った帰りに、イノダでボルセナを食べることが
本当に子供の頃の幸せな記憶の象徴みたいに思えていて。
クリームソースにマッシュルームが入っていて、今思うとカルボナーラみたいな感じなのだけど
子供の頃の僕にとっては、お出かけの日にイノダで食べる銀のお皿のボルセナは本当にずっと特別な食べ物だった」

その話を聞いて、京都という素敵な街で過ごした幸せな彼の少年時代が羨ましくなったと同時に
その「銀の蓋付きのお皿に盛られた特別なご馳走」に興味が惹かれ、私もその話を聞いて以降
ずいぶん長い間、『イノダの銀のお皿のボルセナ』に憧れを募らせました。



ようやくイノダを訪れて、私は迷わずボルセナを頼みました。
聞いた通り、ボルセナはミルクの香るまろやかなクリームソースのスパゲティーで
太い麺に柔らかくソースが絡む、甘美な一皿でした。
彼の記憶に違わず、銀のお皿に銀の蓋で、丁重に運ばれたそれは
京都に育った一人の少年の、幸せな記憶の象徴となるべき、ご馳走でした。

現在では、東京駅の傍らの大丸にイノダコーヒが店を出し
そこでもボルセナを頂くことができるようになりました。
ボルセナを私に教えてくれた青年とは今はもう会う機会もなく
私は東京駅のイノダに寄る毎に
「彼は、東京でもボルセナを頂けるようになったことを知ってるんだろうか」
と思うようになりました。

イノダコーヒ
# by pinngercyee | 2011-08-11 00:37 | 京都
あれは、夏が近い時候だったように思います。

県内でも有数に校則が厳しいとされた私立の女子高に通っていた私は
同級生たちのように、規則を破り、おしゃれをして、放課後に遊びに行ったりはできませんでした。
どうしてできなかったのか。
――それはきっと規則があるなら守らなければいけない、という
良識にも似た臆病さだったのではないかと、今になって思い出します。

高校生だった当時の私の放課後の楽しみは、学校から少し歩いた場所にある、大きな書店に寄ることでした。
コンサートホールを抱える大きな建物の地下フロアを全て使った広大な敷地の書店は
さ迷い歩くだけで、もの知らずな高校生の私に、多岐に渡る未知の世界が手を差し伸べてくれているように思えました。
輸入された美術書。和紙を漉いて作った絵葉書。草花の図鑑に、詩集、料理の本。
小さな出版社から出された美しい本。高級な万年筆。新刊の棚に、名作の詰まった文庫本の棚。
私は飽きずに、毎日、その広大な本屋の敷地を魚のように周遊していました。
欲しいものを買いに行くことはほとんどなかったように思います。
ただ「何か」。
自分にとって宝物になる「何か」を、この書店という海の中から、毎日何か一つ見つけ出すこと。
私は自分にささやかでもいいからこの場所で「何か」を見つけることを課していました。
一本のペンでもいい。一冊の文庫本でもいい。漫画でもいい。絵葉書でもいい。
ただ自分の心が動くものを見つけ出せるまで、私は参考書の棚から専門書の棚までも
背表紙を見ながら、歩き続けることが、私にとって唯一の自由でした。

ある日の放課後、薄暗い雨の降る夕暮れ近い時間に、私は傘をさして書店に続く坂を歩いていました。
普段から人通りの多いとは言えない煉瓦敷きの道は、雨音に覆われ、ほとんど人の姿はありませんでした。
足元を見ながら歩く癖のあった私は、そこに小さな喫茶店があることに、その日まで気づきませんでした。
車が過ぎゆき、目を上げた道の向こうに、小さな柳の茂る植え込みとそれに隠れる扉があって
ガラスの向こうには暖色の光が灯り、穏やかな場所の気配がしました。
入口にうつむいた柳の葉が雨に濡れて水を滴らせ、緑の色を濃くしている陰には
小さな看板がありました。『カフェ三四郎』

私は書店の中でも感じたことのない何か、特別な予感を覚えて、その場に立ち止りました。
強くなり始めた雨の下で、冷たい音を聞きながら、私は暫しの間考えて、再び歩き始めました。

飲食店への立ち入りは、校則で禁止されていました。
髪の長さや、靴下の長さにまで厳しい規則のある学校で、こんな学校のすぐ近くの喫茶店に立ち入ることは
自殺行為に他ならなかったのです。
予備校の授業前に、制服でファストフードに寄った同級生は、先生に見つかり謹慎処分を受けました。
学校から近いこんな場所で、制服を着たままガラス張りの喫茶店に入ったりしたら、私は間違いなく何かの罰を受けるでしょう。
それが、怖かったのです。
喫茶店に入ることがそれほどの罪とは思えないながらも、私は予感に目を背けました。

結局、その喫茶店を訪れることができたのは、高校を卒業して、京都の大学へ進み、地元を離れた後でした。
あの日に、雨の中で濡れた柳の葉の陰にあった、穏やかな気配を遠く思う気持ち。
穏やかで暖かな場所で、静かに珈琲を飲んで過ごす午後への憧憬。

あの日の記憶が、私が喫茶店を好きになった理由と言ってもいいのかもしれないと
雨の降る夕暮れの中を傘をさして歩くと、そんなことを思い出したりします。