今出川通りに面したこの喫茶店の存在は、このすぐ近くに住んでいて
この店のすぐ近くにあるバス停から毎朝大学に通っていた頃から気になっていたのです。
『ゴゴ』
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恰好を付けたがる京都の街の中では珍しい少し間の抜けたというと言葉は悪いですが
幾分変わった佇まいの古びた外見のこの店の扉を押し開いてみる勇気が当時の私にはなく
私は、このお店を記憶に留めたまま、結局京都の土地を離れることになってしまったのでした。

今回の訪問で、どうしてこの店のことを思い出したのか。
しばしば京都を訪れる機会はあるけれど、私はその度に、自分にとっての特別な場所である
恵文社だとか、ゴスペルだとか、迷子だとか、河原町の周辺だとか、イノダ本店だとかを
巡回路のように回ってしまうため、今回の京都行脚では
(いつも行かないところに行こう、懐かしい、忘れかけていたようなところに)
ということを決めていたのです。
そして、普段は時間の制約に追われて、足を延ばせない場所をいくつもノートに書きだしていた時
一度も入ったことのない、この店が例外的に思い浮かんだのでした。

*

進々堂で朝食を頂いた後、私は今出川通りに沿って、出町柳まで歩きました。
存在を忘れていたような記憶を確かめながら、時に裏道に潜って歩いた先の
次の目的地はここと決めていました。

「いらっしゃいませ」
一つ深く息を吸ってから店の扉を開けてみると、柔らかい女性の声が迎えてくれました。
古い珈琲屋は何となく気難しい男性が一人で切り盛りしているのではないかと、少し覚悟していたので
柔らかい京都訛りの女性の声が、旅行鞄を下げた一見の私を迎えてくれたことで
安堵を感じて気を抜くことができたように思います。

入った左手に続くカウンター席には、数人の地元の人と思しきおじいさんが座り
新聞を開いて、めいめいにそれぞれの朝の時間を楽しんでいました。

「そちらの席どうぞ」
促されるままに空いていた手前の4人がけのテーブルに腰を下ろすと、先ほどの柔らかい声の主である
女性が柔和に笑って、水の入ったコップとおしぼりを私の前に置いてくれました。
「コーヒーを、お願いします」
「朝の時間は、茹で卵とトースト、どちらか付くのですけど、どちらにします?」
「じゃあ、茹で卵を」
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「明日、下賀茂神社の流鏑馬でしょう、土曜日」
砂糖を注ぎ、懐かしいどっしりとした京都らしい重みの珈琲を頂いていると
カウンターでお話をする声が耳に入りました。
目を上げると、お姉さんはカウンターで新聞を広げていたおじいさんと談笑しているところでした。
「行かはるの」
「いやあ、この辺住んで長いけど、行ったことないわあ」
私は手元の茹で卵の殻を注意深く剥きながら、聞くとはなしに、彼らの柔らかい京都弁を聞いていました。

この辺に住んで長い、と言った老人は、この喫茶店のカウンターで奥様が迎えに来るのを待っている様子でした。
この近くに住み、朝はここを毎日訪れて珈琲を飲み、新聞を読むという老人にとって、ごく当たり前の日常の中に、私がこの日初めて訪れたこの場所は存在しているのだということをぼんやりと考えます。
『人生に寄り添う場所』
そんな言葉が脳裏に滲むように浮かびました。

卵を頂き、珈琲を飲んで、煙草を灰皿に押し付けて火を消し、私は一時の端居を許してくれたこの場所に感謝を覚えながら席を立ちました。
レジで会計をしてもらう時に、穏やかでにこやかに笑うお姉さんに、友人から託された疑問を問うてみようと思いつきました。
「このお店、どうして『ゴゴ』って言うんですか」
私の問いに、ふと手を止めてお姉さんは少し考えるように首を傾げました。
「先代から、――ああ先代って私の夫の親なんですけど、私がこのお店を継いだ時にはゴゴって名前だったの。だから詳しいことは分からないのだけど」
そこまで言うとお姉さんは「少し待ってね」と私に頬笑み、奥に立ててあった書類の束に手を伸ばしました。
「ほら、これ」
それは何年か前の新聞でした。店主が老いを迎え、古くからのお店を続けるか辞めるか迷った時にお店を継いだのが息子のお嫁さんだったこと。それからもう何十年近い時間が経っていること。名前の由来はもう分からないこと。

「私も詳しいことは分からないのですけどね、最初にこのお店を作らはったおばあさんが居て、そこの京大か日仏会館かでフランス語を学んでる娘さんと暮らしてはって、それでその学生さんが付けたみたいなの、『ゴゴ』っていう店名は。だから多分、フランス語ってことで、それ以上は長いこと謎のまんまだったんですけど」
お姉さんは新聞記事を覗き込んで、言葉を続けました。
「これが新聞に乗った時にね、よく来てくださる京大のフランス語の先生が居てね、その人が辞書で調べて『これじゃないか』って持ってきてくれはったん、ほら」
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「……たくさん、有り余るほどの、好きなだけ」
「そう、それかね、その時代にフランス喜劇が流行ったみたいなの。その登場人物でゴゴっていうのが居るらしくて、そっちなのかもしれへんって話もしたのだけど、結局は分からへんで」
お姉さんは柔らかく笑いました。
「こんな感じの答えでいいかしら、はっきり分からなくてごめんなさい」
「いえ、有難うございました」
何十年も前に女学生だった娘さんが何を思って名付けたものかは分からなかったにしろ、この名前を冠したこの場所が、歴史を含めた何十年もの間、色んな人に取り巻かれ日常を支えてきたということは十分に分かり、そんな話を聴くことができたことが、私はとても嬉しかったのです。

「家内が迎えに来るって言うてたんやけどなあ、来いひんなあ」
私とお姉さんがレジの前で会話しているその向こう側では、奥方を待つ老人がカウンターに頬杖をつき、先ほどまで読んでいた新聞を置いて、人待ち顔で遠くを眺めていました。
「今に来はるわよ。珈琲、もう一杯飲まれる?」
お姉さんがかけた声に老人は、子供のように口を尖らせて「いや、いい」と答えました。
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# by pinngercyee | 2014-07-01 00:24 | 京都
お知らせするのを忘れていました。
街はぴ記事をひとつ書きました。

まっすぐに立つやりかたを思い出せる場所 『あんず村』

友人ショコラの話です。
楽しんでいただけるといいな。
写真こちらに貼っておきます。
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「二人でこんなに食ったの」というのは禁句です。
(とてもお腹いっぱいになりました。)
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# by pinngercyee | 2014-06-25 14:24 | 東京
色濃く澄んだ青空から、白い光が強く注ぐ京都の朝に、私は旅行鞄を持ったまま再び歩き出しました。
――千本今出川からなら、201番のバスで百万遍に行ける。
十年ほど昔に住んでいた時の記憶と知識で、私は京都の街の中を迷わずに歩けることを
今になって役立てていることを感じます。

次の目的地は決まっていました。百万遍、今出川と東大路の交わる十字路はそう呼ばれ
ただの交差点の地名と言うよりも、京都大学の存在する場所として、知られている場所になります。
鴨川に沿って地下を走る京阪電車の終点駅、出町柳から少し奥に入った場所。
そのあたりは、私が京都で初めて部屋を借りて、二年間を過ごした地域でもありました。

土地勘は全くない状態で、どうして通っていた外大からバスで40分もかかるような左京区に
部屋を借りようと思ったのかと言うと、ただ単に、「仲良くない同級生に遊びに来られたくなかった」から
という理由だったのですが、そんな理由でも、私は京都の中でも、出町柳に住むことができたことは
とても幸運だったと今になって思います。今から京都に引っ越して、部屋を探すとしたら
私は再びまた左京区に住みたがると思います。

京大の向かいにある古いパン屋が併設された喫茶店『進々堂』は、立派なブーランジェリーとして
チェーン展開をしている『進々堂』とは別の存在で。私は出町柳に住んでいる時に
少しの背伸びする気持ちを胸に、休日の朝ごはんを自転車に乗って食べに来ていた場所でした。
時折言われる「京都はパリに似ている」という言葉で、アカデミックな気難しさのある静謐さ、のような
そんな空気を持っているのは『進々堂』が最もたる場所なのかもしれないなんてことを思います。
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有名なお店なので、観光客も多いのだろう、と覚悟をして久しぶりに見る進々堂の古い扉に手を掛けると
「全席禁煙」「撮影禁止」という紙が掲げられていることに気付きました。

お客を逃がすこんな文言を店の前に掲げてしまうというところが京都らしさかもしれないと思い
朝ごはんの後に煙草を喫えないことと、せっかく訪れた場所を写真付きで紹介できないことへ少しの
落胆を覚えながら、私は「この緊張感のある張りつめた空気を、私は訪れたかったんだ」と
帰って嬉しいような、懐かしいような気持ちになったことを書いておこうと思います。

京都を訪れる度に私が必ず頂く「美しい朝ごはん」はイノダコーヒの『京の朝食』ですが
ここ、京大北の進々堂で頂く朝ごはんも、格別に清楚で美しい食事だと思っています。
パン屋だということに加え、カレーもあるためメニューに幅はあるのですが
私が頼むのは『プチデジュネ』という名前のセットです。
どうしてプチデジュネに憧れのような執着を覚えるのか、理由は思い出せないのですが
雑誌か何かで「憧れの美しい朝ごはん」として紹介されていたものを読んだような気もします。
付された言葉を裏切らない慎ましく清楚な美しい食事、そしてそれを頂く場所としての重厚で清楚な緊張感。
そういったものに、私は恋をしたのだったかもしれません。

――京都に住んでいた頃は、本当に自分に自信がなくて劣等感が強かったから、すぐに何かに憧れて、それに似合う自分でなければならないと、強く自分を戒めて雁字搦めにしてしまっていたことを不意に思い出します。

それは苦しい時代でした。京都には私を背伸びさせた場所が多く存在し、私は苦しくても心から「こうあるべき」というものと向かい合うことのできた禁欲的な時代だったとも思います。それは京都という土地の持つ揺らがぬ美意識や文化が、私を律してくれたということなのかもしれないと今になって思います。

5月の朝の、幾分ひんやりとした空気が静かに沈殿する店内は、私の記憶の通りの場所でした。
店内に6つほどある黒田辰秋の作という十数人が腰掛けられる大きさのテーブルには
視線を交わさない場所に座った来客が数人、それぞれが本を読んだりして朝の時間を過ごしています。

木造校舎の図書室のような店内中央に、一段高くなっているカウンターはタイル貼りで
飾り気のない二人の女性が楚々とした様子で働いていました。

「プチデジュネを」
「コーヒーにミルクを入れても」
「はい、大丈夫です」
小さく会釈をして、カウンターへ戻る女性の背中をぼんやりと視線で追いながら
この会話をすることも、久しぶりであることをぼんやりと思いました。
京都の珈琲は、濃く、重く、そして店によってはミルク入りであること。
私が珈琲というものの味を覚えたのは、働いていた今はもうない名曲喫茶みゅーずの
ずっしりと重く、砂糖を加えるとねっとりという形容すら似合う濃さの珈琲でしたが
お客として頂く一杯として、あの頃に飲んでいた珈琲は、例えばフランソアの
例えばイノダの、例えばスマートの、ミルク入りの珈琲でした。
――そういえば、ここもミルクの入った珈琲を出す京都の喫茶店なのだった。
そんな記憶の中に辿りきれていなかった、けれど、とても良く知っている香りの
ミルクの油分を少し含んだ珈琲に、私は、遠い日の記憶を見たような気がしました。

間もなく手元に届いた木製の盆に乗った朝食は、イングリッシュマフィンと珈琲
それにガラスの器に入った野菜添えのあっさりとしたポテトサラダです。
まだ温かいマフィンを両手に持って、指先にざらつく粉をこぼさぬよう注意を払って一口齧ると
塗られたばかりの溶けたバターと、ぎっしりとした密度でマフィンに閉じ込められた小麦の香ばしさが
鼻の奥をくすぐるのを感じます。
私がまだ、少女と呼ばれても相違なかった頃に、清楚さに憧れた慎ましく美しい朝ごはん。
この場所に、このお店が続いて行く限り、私は少女の頃の片思いに再会することができるのだと
そんなことを考えたように思います。
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# by pinngercyee | 2014-05-23 05:49 | 京都