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LIPHLICHの新譜『マズロウマンション』が出ました。
マズローの欲求段階説を題材にした曲を作ってるという話をしていたのが四月、
五月のライブで新曲のタイトルが『マズロウマンション』だと発表になって
六月頭に一部だけの試聴動画が上がって、(必死に歌詞を聴きとって世界を推測してみるも全く見えず)
六月の下旬にライブで初めてお披露目されて、(私は行き逃した勢い余って名古屋まで見に行きました)
そしてあれよあれよといううちに、ついに先日リリースされて、やっと全景を見ることが出来て
歌詞を読んで、今まで必死に試聴動画を見ていただけでは見えていなかった部分の情報量の多さに
本当に仰け反りました。

何これ、収録された三曲が表題『マズロウマンション』の中での一連のお話になっている、ということは聞いていたにしても
この世界の深さと情報量は、下手な本の一冊や映画の一本など楽に凌駕していると思います。

歌詞を抜粋して紹介しようにも、抜粋しない場所が見つからないから全文載せなきゃいけなくなる。
これは、歌詞の形を借りた純度の高い小説です。
無駄な言葉が一切ないから、核になる必要最小限の言葉を用いて、音楽を背景に纏いながら
ある意味、小説や映画がやることよりも色濃く匂い立ちながら『マズロウマンション』という作品が
既存の概念に一切阿ることなく凛と自立しているということになると思います。

読むまで全景の見えなかった歌詞の情報量が多いと書きましたが、その内容の伝わりやすさにも括目。
一度読んだら情景が浮かんで、二度目に聴く時は歌詞を全て聴き取れるようになります。
(歌詞を読むまで正しい詞が把握できなかったのは、ひとえに私の耳が悪いのだと反省しました)
これだけの情報量を抱えながらも、下手な解説文って書くだけ野暮なくらい
誰が読んでも理解が十分に及ぶ言葉で書かれていることも度胆を抜かれます。



なので、これはCDを手に入れた人には必要のない解説だと思って読んで下さい。
正しい歌詞を読む前の私、試聴を聴いただけで、世界の全景が見えなくてもどかしく思っていた自分に宛てて
全景を見ることが出来た今の私から、気付いたことを書き留めておこうと思います。



上記で少し触れましたが、掲題の『マズロウマンション』は
「自己実現理論(じこじつげんりろん)とは、アメリカ合衆国の心理学者・アブラハム・マズローが『人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きものである』と仮定し、人間の欲求を5段階の階層で理論化したものである。また、これは、『マズローの欲求段階説』とも称される。」《Wikipediaより引用》
を踏まえ、それを五階建ての洋館に準えた世界のことを指しています。

1.生理的欲求(Physiological needs)
2.安全の欲求(Safety needs)
3.所属と愛の欲求(Social needs / Love and belonging)
4.承認(尊重)の欲求(Esteem)
5.自己実現の欲求(Self-actualization)《Wikipediaより引用》


に従い、それぞれの階にはそれぞれの欲求を満たすことが出来ず飢えている人々が暮らしています。
内容に関しては、Wikipediaを全文コピペしなきゃいけないくなるので、直接ざっくりお願いします。

首がない灰色の管理人が話す
『ようこそこの世の楽園 マズロウマンションへ。
4階が黄色の貴方様のお部屋、まずはここでの決まりを覚えて頂きましょう』

マズロウマンションへ入居する『私』が案内されたのは「黄色の四階」でした。

ここで管理人から示される「ここでの決まり」は
1.上の住人に逆らうな
2.隣人とはつかず離れず
3.下の住人に関わるな
4.よき日々を

というものですが、曲の中折々で、これ以外にも「ここでの決まり」らしき文言は登場します。
1.上の飛び降りを受け止めろ
2.隣には花束を贈れ
3.下の眼差しを忘れるな
4.よき日々を

冒頭の入居時に知るこれらに続き、歌詞が二番に移り変わる場所で差し挟まれるものは
マズロウマンションへ入居した後に初めて知る詳細なものになっています。
1.物を投げても自分は落ちるな
2.エレベータは降りる時だけ使え
3.拾う時1階の目は見るな
4.煙に巻け

一聴しただけではピンとこないこれらの示唆は、後に続く部分で意味が明かされます。

マズロウの全ての人に当てはまる欲求段階説を下敷きにしているこの洋館は
この世界で現実を生きる全ての人が入居者とも言える建物だということになります。
それぞれの欲求段階で住む場所が決まるこの建物の中、上記の「ここでの決まり」は
私たちが生きる現実の中での暗黙の決まりごとになっているのかもしれません。

3階の女の子 ウサギを投げ捨てた この高さじゃ致命傷にならないこと知ってる
5階の芸術家 ピアノを投げ捨てた 下敷きになったマッチ売りのこと気付かない


欲望まみれマズロウマンション 階級制5階建て ヒュルルルルル
ここじゃ叶えた欲の分 下で誰かが終わる

この部分の端的な例として明示された(愛を求める)女の子と(自己実現を求める)芸術家は
それぞれに自分の身を投げるのではなく、意識的か無意識的にかは分かりませんが
「決まり」に従って自分の身代わりを窓の外へ放り投げます。

欲望まみれマズロウマンション 階級制5階建て ヒュルルルルル
ここじゃ忘れた欲の分 上で誰かが笑う


『そうそう、言い忘れていたことがございました』
『もし退去なさる際は、必ず私めにお申し付けください。管理人室は6階にございます。』


欲望まみれマズロウマンション 階級制5階建て ヒュルルルルル
もしも出て行きたいのなら 管理人に会いに行け
欲望まみれマズロウマンション 階級制5階建て ヒュルルルルル
もしも出て行けないのなら 人間を止めること




もう追記すべきことは何もありません。
薄暗く愉快に進行する音楽を背景に存在するマズロウマンションの全景が、掲題曲で描かれています。

このCDに含まれる二曲目『Room 612』では「首がない灰色の管理人」のことが
三曲目『愛は死なずに3度落ちる』では、「三階の女の子に放り投げられたウサギ」のことが
描かれています。


収録されている2曲目『Room 612』は上記試聴動画の1:14あたりから。

人間辞めたリリーが住んでる部屋 エレベータが行くのは5階までで
1.2.3.4.5 where is 6th floor?
リリーに遭えるのは最初だけで 部屋へ招かれても誰も行けない
1.2.3.4.5 where is 6th floor?


1曲目『マズロウマンション』で差し挟まれる6階に住む管理人ことリリーは
「退去なさる際は必ず私めにお申し付けください、管理人室は6階にございます」と言いますが
いざ、リリーに会いに行こうとしても、それがままならないことであることが冒頭で示されます。

上記Wikipedia内でも示されているように、5階建の欲求の段階から逸脱することが
すなわち6段階目、6階に住むこと=人間であることを辞めた管理人リリーであることも、
そして、欲求を逸脱することが常人にはほぼ叶わないものであるということも
常人が6階を訪れようとしても見つからないということに関係あるのかしらとか思いました。
下りの時にしか使えないというエレベータ(昇るのは自力でないと昇れない)も
この件を指し示す一つのヒントなのかもしれません。

餌はどこ 家はどこ 人はどこ ここは

欲が満ちたら 灰色リリーをお迎えに
傷が癒えたら 首なしリリーをお迎えに

どこにいるの どこにいるの リリー どこにあるの どこにあるの リリー
どこにいるの どこにいるの リリー どこにあるの どこにあるの Room612


このマズロウマンション(=人の暮らす社会の縮図)を退去するということは
退去する人が人間であることを止めることであることは、1曲目の最後で明示されますが
リリーの元を訪れる人間が、人間を辞める(=死ぬ)覚悟があるのかどうかは示されません。
「欲が満ちたら」「傷が癒えたら」人々はこのマズロウマンションを退去しようと思うのかもしれませんが
その時に、彼らは自身がリリーに申し付けることが可能だったとして、彼女はどのような役割を果たすのでしょう?

話しが少しずれますが、欲求段階(フロア)が高くなるに従い、飛び降りた時に死ぬ確率が高くなり
5階の芸術家は、1階の畜生どもよりも飛び降りによる自死を選択しやすい状況にあるということ
そしてそれに関して「物を投げても自分は落ちるな」という規則があることで
リリーは入居者の一方的な退去を禁じているということに気付きます。

そうなると、退去(=人間を辞める=死を選ぶ)段階で、リリーの果たす役割は
平たく言うと、死神のようなものなのかな、と思いました。灰色で首がないっていうし。
だから「リリーに遭う」のは「会う」ではなく「遭う」と書いているんだなとか。

神様になれなかったリリーの事 悪いのは人間だけど気にしない
人間に戻れない  リリーの事 悪いのは神様だけど気にしない
友達を助けても 神様を信じても 在る意味を知ってしまった彼女の事は


人間と神様の中間にちょうど位置し、「欲が満ちたら」「傷が癒えたら」お迎えに来て
「愛を知ったら」「夢を知ったら」帰る(=迎えに行くのを止める=生きさせる)リリーは
やはり退去(=死)を司る存在であるものであるように思います。

それにしても1曲目『マズロウマンション』の中で話す管理人が女性だとは思わなかったし
何度聞いても聴き取れない歌詞が「リリー」と人名を歌っているとは夢にも思いませんでした。
「どこにあるの どこにあるの リリー」も必死に聴き取った段階では
「Coming down Coming down With me」だとてっきり思い込んでいました。(100%の余談)

「どこにあるの」と歌っていると知ってからは、「どこにあるの」としか聴こえなくなるのが
個人的に、すごい衝撃でした。



上記試聴動画2:25あたりから3曲目『愛は死なずに3度落ちる』です。

ベランダで眠る兎 さみしいのちくもり あの人の言いつけであの子の身代わりになる
時々おかしくなる あの子の目がまるで この私の目みたいに赤く染まった時

代わりにその致命傷 引き受けるのが私
あの子は知らないけど それでいい

貴方の
涙もらう兎 痛み抱いて代わり落ちる
涙もらう兎 加速し再生する世界

もう2度と泣かないでと願う私の目 青くなる世界はほら元通り


ざっと一番の歌詞を引用してしまいましたが、もうこれでこの歌の輪郭への言及は十分でしょう。
1曲目『マズロウマンション』内で、兎を窓の外へ放り投げる3階の女の子は
「決まり」に従い、自分が身投げをする代わりに兎を投げているのだということ。
そしてその兎は「あの人の言いつけであの子の身代わりになる」と言っているということ。

あの人って誰の事かしら、と考えた時に頭に浮かぶのは死を司る管理人リリーですが
もしかすると、リリーを6階に縛り付け、神様にも人間にもなれない存在にした『神様』が
兎の主人なのかもしれないなあ、と少し思いました。
世界を再生させることのできる力を持つのは神様だろうし、とここまで考えて思ったのですが
兎が3階から放り投げられても世界は損なわれませんよね。損なわれるのは兎の命でしかなく。
放り投げた女の子は無傷だし、そもそもそのために身代わりになっているのだから
再生する世界というものは、兎にとっての(兎の見ている)世界なのかしら、と思いました。
だから落とされる度に兎の目が青くなり(赤さが損なわれる=失明、ということかなと)
そして両目を失った世界で兎は「これでおしまい でも元通り」と見てもいない世界を信じる
自分の居なくなった世界が変わらないことを知っているということ、なのかなあと思ったりしました。
いや、単に女の子が泣き止んで、本来の碧眼に戻って、兎が安心するだけなのかもしれない。

今、根本的なことに気付いたのですけど、「あの子の目が赤くなる」というのは
「もう2度と泣かないで」にかかって、あの子が泣いてヒステリーを起こしているということを
示しているんだなとか。すいません、読んだら分かることを今気付いて。。

それにしても上記の「さみしいのちくもり」と2番の「じれったいのちくもり」っていう
兎視点の表記が可愛いのなんのって、これ、素晴らしく秀逸だと思います。
誰も思いついたことのないフレーズだし、そういうものに焦がれて世の詩人は言葉を弄ぶんだなとか。
弄んでいるだけで、この段階の、誰も思いついたことのない一節を見出すことのできる詩人って
詩人を自称する人のほとんどが達することのできない一節だと思います。久我さん凄い。

ベランダで弱る兎 じれったいのちくもり あの子の好きなピアノが聴こえなくなった

本当に欲しい物 知っているんだよ私
すぐ隣にあるけど 言えないから


兎がベランダで弱りながら何をじれったいと思っているのかというと
3階の女の子がヒステリックに泣いて自分を放り投げる時に
彼女が本当に欲しいものを知っているけれど、言うことが出来ないということ。
愛を希求する段階の3階の女の子は、ピアノを投げ捨てる5階の芸術家に恋をしているのでしょう。
彼が5階からピアノを投げ捨てて(その下でマッチ売りが犠牲になり)ピアノの音が聴こえなくなって
彼の悲しみ・絶望に連動して、女の子はヒステリーを起こして兎を放り投げるという図式ですが
兎の知っている「本当に欲しい物知っているんだよ私」と無言の兎の言う愛は
女の子の傍らの兎の中に宿っていることが示されている、というところで
この曲のタイトルが『愛は死なずに3度落ちる』となっていることに気付きました。納得。

それにしてもです。この「本当に欲しい物 知っているんだよ私」の歌い方の含む物が
悲しくて愛おしくて、聴いていてこのフレーズを耳にするたび、息が止まる思いがします。

これで3度引き受けてしまった私の目 悲しいけどこれでおしまい でも元通り

可哀想な兎の最後の言葉にあたる上記の後、兎は3回目の落下を経たことで死んでしまうのでしょう。
その後、女の子はどうなるのかなあ、と思いました。
「この高さじゃ致命傷にならないこと知ってる」彼女は、兎が死んだことで嘆くでしょうか。
それとも、彼女自身の落下を招くでしょうか。
それとも、それを阻止するために、新しい兎が彼女の元へ送られるのでしょうか。
愛というものが、取り換え可能かどうか、ということを考えてみることも暗喩されているかも
しれないなあ、とか。勘ぐりすぎでしょうか。

それにしても兎が健気で可哀想で愛しい。
そして背景に流れる曲は軽快で、悲しさを滲ませない甘酸っぱい匂いをさせる一曲であること。
この曲を書いたことだけでも、すごいなあと感嘆に値する物だと思うのですが(作曲は久我さん進藤さん共同名義)
そこにこんな兎の詞が乗っかるなんて、ちょっとした奇跡にも思えます。
そこに共感して欲しくて、ちょっとこれ頑張って書きました。



上記に貼ってる試聴では一部分しか聴くことが出来ないので、気になった方は在庫のある今のうちに
音源CD現物を入手することをお勧めします。
発売日当日にメーカー在庫完売という話で狼狽えましたが、今日聞いたところによると
お店に来週以降再入荷予定があるとのことで、再販がかかったことに胸を撫で下ろしたところです。
でもこの在庫もいつまであるのかは全く分からないので、お早めにどうぞ。超お薦めです。

Aタイプは『マズロウマンション』と『Room612』の二曲入りにライブDVDがついたもの。
Bタイプは上記二曲に兎の歌『愛は死なずに3度落ちる』が加わったCDだけのもの。
どちらも素晴らしくお薦めです。
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by pinngercyee | 2013-07-28 06:18 | 音楽
先日勢いで行ってきました。

だって、新曲『マズロウマンション』発表から行こうと思ってたライブ3回連続で見れなくて
聴けた人が羨ましくて聴きたくてしかたなかったんだもの。
というLIPHLICH目当ての旅ではありましたが、想像していた以上に
すごく充実していたいい旅になったので、ちょっと纏めて書いてしまおうと思います。

前日。この日まで、私の担当の大きい仕事が立て込んでる状況で、それが全日程終わり
参加者の打ち上げの段取りやったり片付けやったり参加者を見送ったりした後
「明日休みます!」と言い残し、カートを持って新宿へ。
高速バス、前回大阪に行った時は電源付いてたのでそれを期待していたのに電源なくて
既に危うい携帯の充電を心配しながら消灯。
この日、隣に人がいなくて凄く気が楽でした。ラッキー。
前回まで空気枕を持参していたのだけど、今回は普通のタオルを空気枕代わりに持ち込んでみました。
こっちのほうが断然いい!さくっと熟睡できて、休憩の時に気付かなかったくらい。
あと、いつもバスで寝ると朝には脚が重くなってしまうのですが、休足時間貼って寝ると重くならない!
朝着いた時、体が軽くて感動しました。バス乗る方、試してみて下さい♡

そして名古屋到着。朝6時。
お風呂に入りたい一心で、名古屋駅前の漫画喫茶で三時間。漫画喫茶って偉大!すごい!
当り前なのかもしれないけど、もっと活用しようと思いました。
お風呂入って、着替えて、お化粧して髪の毛やって、荷物を纏めて、ネットいじって、三時間ちょうど良かったです。
9時。名古屋駅のコインロッカーにカートを仕舞い、岐阜在住の友人やぎちゃんと合流。
会うのは去年の夏の名古屋行脚ぶりでした。
名古屋で働く地元民やぎちゃんの心強い案内により、素敵なモーニングが頂けるというお店に向かいます。

KAKO 花車本店
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名古屋駅から少し歩いた場所に在るこのお店は、ステンドグラス越しの光の差し込む小さく素敵な喫茶室でした。
名古屋で自家焙煎の珈琲を出したのは、このお店が初めてなんだとか。
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モーニングの時間中に、コーヒーを頼むとトーストが一枚付いてくると聞き、私はブレンドをお願いしました。
「トーストは、バターになさいますか、50円で自家製のジャムにできますが」
「じゃあ、ジャムでお願いします」
何の、とは言われないままに運ばれてきたのは、四等分されたトーストに一種類ずつ乗せられた全て自家製という四種のジャムでした。
見た目からもとろみの伝わる四種はそれぞれ、ママレード、マンゴー、あんず、梅、とのことでした。
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「コーヒーはお代りできますので」
定価400円程度のコーヒーの値段で、こんなに美しい朝ごはんを迎えられるなんて、予想もしていなかったので
私はやぎちゃんに「素敵なお店ね」と興奮を抑えきれずに言いました。
久しぶりに会ったやぎちゃんと、彼女が好きだという先日送ってくれたCDの話をして
ゆるやかに流れる朝の時間をぼんやりと楽しむことができました。
今度もし名古屋に来たら、一人ででも来てみたいと思えるお店に出会えたことが嬉しくて
こんな素敵な朝ごはんを頂けたこの日が、絶対凄くいい日になるという予感を感じたことを憶えています。

11時前にKAKOを出て、少し早目のお昼ご飯へ。
13時から大須のお店のイベントに行くのを見越し、大須でお昼ご飯を食べようと言った時
私が「古い洋食屋がいい」というと、やぎちゃんが「みそかつは?」「食べたことない!」「じゃあ、いいお店があるよ」と連れて行ってくれたのが、「すず家」でした。

すず家 大須赤門店
名古屋駅から大須に一本で来られるバスに乗り(地元民強い!)、大須で降りてイベントのお店を確かめ、しばらく歩いてすず家に着きました。
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店内は老舗というよりも飾り気のない洋食屋、という感じだったのですが
ここで頂いたみそかつ、初めて食べたのですけど、すっごい美味しかったです。
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厚みのあるサクサクしたカツを味噌に付けて頂くのだけど、少しもべちゃっとしてないし
さっき朝ごはんを食べたばかりで「そんなにお腹すいてないかも」くらいのきもちで来てしまったのに
ぺろりと食べ切れてしまいました。
通常メニューは一人1500円程度だったのですが、この時はちょうどランチの時間で
1000円で頂くことができたのもうれしい。美味しかったです。おすすめ♡

イベントの話は、また別に。

イベント終了後、膝の震えが収まらないまま逃げるみたいに会場を後にして
私たちが向かったのは、大須の古い喫茶店として前回訪れた「こんぱる」と並んで
名前の挙がる「モカ」でした。
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前回の行脚の時にも来たかったのだけど見送っていたお店だったので、来ることができて嬉しかったです。
印象としては、こんぱると似ていて、歴史を重ねた名店、みたいなものよりも、長く商店街の中で親しまれて、多くの人に憩いを与えてきた場所なんだなあと言うことが空気に滲んでいるようなお店でした。
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こぢんまりとした数席のテーブルを抱える店内は、初めて訪れた私たちも優しく迎えてくれたと感じることができました。
「大須の古い喫茶店に居る」ということをツイッターで書いてみると
大学時代の恩師鶴岡法斎氏が珍しく声をかけてくれました。
「大須の演芸場で、友達が落語家をやってるから見ておいでよ」
「演芸場って、この近く?」
やぎちゃんと首を傾げていると、カウンター近くに居たお店の人と思しき男性が
「すぐ近くだよ。でも4時で終わりだよ」と声をかけてくれました。
時計を見るともう3時半近い時刻でした。
先生に聞いたお友達の落語家の方の名前を言ってみると「うん、よく出てるね、知ってるよ」とのこと。
覗くだけ覗いてみよう、と場所を聞き、モカを出て少し歩くと演芸場はすぐに見つけることができました。
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看板を覗いてみたけれど、先生の御友人の名前は見当たらず。。
こんなところに演芸場があることも聞かなければ知らなかったな、もう一日あれば、のんびり時間を取って聞きに来たかったな、と思いながら演芸場を後にしました。
落語、全く詳しくないのですが、何度かだけ聞いたことがあって。新宿の末広亭で。
その時は落語に関心を持つ前だったので、何も思わず友人に付いて行ったというだけだったのですが
途中から惹きこまれてしまって、落語の人の話術の妙と言うか、すごいなあと感動したことを思い出しました。

「犬ちゃんにお薦めの喫茶店があるの、大須観音の向こうに」と言うので、「連れてって!」とお願いして
私たちは大須観音へ向かいました。
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大須観音、初めて来ましたが、超ゴージャス。。。観音様ってあんまり身近になかったなあとか。
境内には鳩が沢山いて、最初平和だったのですが
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途中で子供が餌置き場の戸を開け放したことで一気に修羅の様相に。。
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ちょっと!!親!!と見回してみるも見つけることが出来ず、私たち二人がかりでも戸を閉めることが出来ず。。
暫く頑張ったのですけど、結局諦めてしまいました。申し訳ありません。
(今気付いたのですが、よく見ると上の写真に犯人の子供が写っている。。あいつが犯人です)

諦めて観音様を後にし、訪れたやぎちゃんおすすめの喫茶店は閉まっていました。。
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残念。次回来た時に来てみようと思います。
ちょくちょく訪れることになる気がします。名古屋。次は十月かな。。。(^u^)

大須の街の中を歩いていると、緑に埋もれた建物を見付けました。
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ジブリの魔女の宅急便の最初のシーン、キキのお母さんが薬を煎じている温室みたいな建物!!
超すてき!!と一気に沸き立つも、ここは喫茶店ではなく、お花屋さんということでした。
ここでお茶飲めたらいいのになあ。

夜のライブまで暫く時間があるので街の中を散策したのち、会場近くのカフェSMASH HEADへ。
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ここもやぎちゃんが教えてくれたのですが、広くて居心地良くて、とても良かったです。
穴場でした。シャーベットの入ったソーダとフレンチトーストを頂きました。
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ライブ。これもまた別で書きます♡

ライブ後、そそくさと退出。
私の高速バスまでの時間と、やぎちゃんの終電までの貴重な時間で、最後の目的地風来坊へ向かいます。
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十年以上前、初めてこれ食べたのも、やぎちゃんが連れてきてくれた風来坊だったなあとか。
終わってしまうのが勿体なくて悲しくなるほど楽しい一日を惜しみながら手羽先を食べて
ビールを飲んで、「じゃあまたね!」とやぎちゃんと別れてバスに乗って、今回の旅は終了。

思い付きで行った弾丸ツアーだったものの、本当に満喫することが出来て
とても良い旅になりました。やぎちゃんありがとう!また次回一緒に遊ぼうねえ!
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by pinngercyee | 2013-07-27 10:18 | 名古屋
こんにちは。

今日は携帯を忘れて出かけまして
一日、暇があると鞄に入っていた久世光彦の花迷宮を再読していて
氏が自分の子供の時代の記憶を懐かしく辿るのを読みながら、その背後で漂っている
当時の空気を内包したような音楽が聴きたくなって
そしてそれが、今のこの湿度を濃く含んだ温い空気に果実が熟れていくみたいに
とても似つかわしいものに思えて、今日はそんなことを考えていました。

夜来香

この歌大好き。

蘇州夜曲

この歌の作詞、西條八十だったって知らなかったです。
すてきねえ。

李香蘭ふたつ貼ったら気が済んだので今日はここまで。

もう終わってしまったけど、梔子の匂いとか、その前のジャスミンの匂いとか
すごく肌に沁みるみたいに季節を感じたなあと思ったりしました。
近頃は、夕暮れ時に帰宅する道で、まだ熟れてもいないはずのイチジクの匂いがするのが嬉しくて
立ち止まったりしています。
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by pinngercyee | 2013-07-09 21:52 | 日々
こんにちは。

今日見た映画『三つ数えろ』が面白かったのです。
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フィリップマーロウさんはdetectiveではなくて、private investigatorなんだなあとか。
映画の中で「38歳」って言うのを聞いて、
「あー、探偵ってそのくらい以上であって欲しい」
「だけどこのハンフリーボガードさんはどう見ても50代」
と思ったりしました。

そして、見終わった後に
「あ、ジュリーの歌の『ボギー、ボギー、あんたの時代は良かった』ってのは、この人か」
と思いついてから、頭の中で歌が流れて止まらないのに、どの歌だったのか思い出せなくて
YOUTUBEでジュリーを見まくっていたら楽しくなってきたので
今日はジュリーを貼ろうと思います。



上述の「ボギー、ボギー、あんたの時代は良かった 男がピカピカの気障で居られた」こと
『カサブランカダンディ』です。

かっこいい。

『サムライ』

ジュリー貼るなら外せないのが多くて困ります。
久世光彦がジュリーに惚れ込んで作った畳ビデオは削除されちゃったのかしらん。

『勝手にしやがれ』

この歌凄い。イントロだけで大野克夫さんって分かる。大好きです。大野克夫さん節。

『酒場でDABADA』

この歌、一番好きかもしれない。かっこいいwwww

『OH!ギャル』

かっこいいwwww



日本でグラムな人が一世を風靡するのって難しいと思うのですが
この人ってそういう意味で偉大なんだなあとか。
もっとそういう人いたらいいのになあとか。
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by pinngercyee | 2013-07-07 23:23 | 音楽
私には「ちえちゃん」という友人がいます。
彼女と出会ったのは、10年と少し前、私が一つ目の大学を辞めて、実家に帰った頃でした。
実家のある地元の岡山に帰った私は、若い人の集うカフェで働き始めました。

そこは音楽のイベントを催したり、企画展をおこなったりと
岡山の街の中でも若い人の文化の集う場所だったのですが、私が端居したその場所の中で
時々行われていたのが『Happy Hippie』という詩の朗読イベントでした。

当時、京都に住んでいた頃から、小説を書きたいと思う気持ちを持て余しながら
【美しいものを自分で作り出すこと】に憧れを抱いていたものの
自分の語彙力や表現力、なによりも文章力の不足を自覚していた私は
芸術(特に小説、絵や音楽は最初から諦めていたので)を自らの手で作り出すことのできる人に
強く共感と憧れと劣等感を抱いていました。

書きたい物語もありました。高校生の頃から、いくつかの物語の概要をノートに書いて
その情景やワンシーンを思ったりしながらも、その情景や関係性を取り囲む世界を描く力量がなく
私は断片的な情景を、いつか小説を書く力量が付いた時に形にしたいとノートに書き溜めることを
日課としているような日々を送っていました。

ある日、催されていた何度目かの詩のイベントの参加者の人と言葉を交わすことがありました。
「詩は好きですよ。伊藤整と寺山修司の素直なものが好きです」
何の気なく答えたこんな言葉に「書かないの?」「書いてないの?」という言葉をかけて貰い
その次の開催より、私はそのイベントのメンバーとして参加させてもらうことになりました。

『詩』として、言葉単体で存在する芸術形態を着地点に見据える人を詩人と呼ぶのだと思うのですが
私が当時書いていたものというのは、「いつか小説にしたい」という前提の断片的なもので
正確には詩と呼べたものではなかったと思います。

それでも、『Happy Hippie』のメンバーは自意識が強く態度の良いとは言えない私を
詩人として扱ってくれ、居場所を与えてくれました。
言葉を自分の作品として人前に出すという経験を、私はここで初めて経験したのだと思います。

「ちえちゃん」はそのイベントの中心にいるメンバーの一人の、私と同い年の女の子でした。
ちえちゃんは、色が白く肌理が細かいつるんとした肌をして、華奢な体躯に古着のワンピースを着る
「かわいい女の子」として、私が羨む要素を生まれつき持っているような女の子でした。

ちえちゃんは、可憐な外見に一見そぐわぬ、なまなましい言葉を操りました。
肌を刃物で撫でるような。チリチリと静かに焼かれるような。
痛みを伴う切実さを帯びた言葉を、無駄なく鋭く細い声で静かに読み上げる詩人でした。

同い年であり、私の羨むセンスの良い華奢で可憐な女の子であり、自分の作風を確立しているちえちゃんに
今になって私は劣等感を覚えていたのだと思います。

それまで一人でノートに書き溜めていた言葉を、初めて人前に発表するようになった私に対し
ちえちゃんは既に詩人として、出版社から詩集を出していました。
『掌の力を弄ぶ』
そう題された赤い表紙の一冊を、私は当時、彼女に「読む?」と聞かれた時に
「ううん、今は読まない」と答えたことがありました。
今となっては、本当に失礼な話でしかないけれど、当時の私にとって、そう返答することが
精いっぱい、自分の矜持を何とか保つために必要な虚勢だったのだと思います。



一年足らずで私は再度の大学受験を理由にその会を去り、関係者との連絡も途絶えました。
その後、大学という四年間のモラトリアムを過ごす権利を得て
私はその四年間は小説のことだけを考えて過ごすという覚悟をし、東京で暮らし始めて
やっと私は劣等感と自意識を脱して、自由に振る舞えるようになった気がします。

ちえちゃんと私が、詩を介さない一人の女の子同士として再会することが出来たのは
私が会を去ってから、数年が経った後だったと思います。
「私、当時、ちえちゃんが羨ましくてしかたなかったんだよ。
 だから素直にできなくて感じ悪かったと思うの。ごめんね」
と打ち明けた私に、ちえちゃんは驚いたように笑いました。

毎月顔を合わせていた十年前の当時よりも、年に数度しか会わない現在の方が
私は彼女と精神的な距離が近くなったと思います。
十年という時間が経つと、屈託なく笑う彼女も、今ここにいる私も人生を歩んできていて
当時では想像もしなかった現在を、お互いに離れた場所で生きているのですが
私は、年に数度の帰省の折に、彼女に会うことを毎度の楽しみにしています。



今年のゴールデンウィークに帰省した折、彼女と二人で『猫魔音』に飲みに行き
その前回約束していた彼女の本を、私はやっと手にすることができました。
「あの時、『今は読まない』って、いぬちゃんが答えたの、今も憶えてる」
「うん」
「『おっ』って思った」
「恥ずかしいから忘れて」
そんな会話をしながら近況を話し、お酒を飲んで笑い、帰り際に彼女は
「この本は、若気の至りで、痛々しくて恥ずかしいから、帰ってから読んで」
と私に言いました。



彼女の言葉に従い、私は岡山に居る間、その本を受け取ったままの封筒から出しませんでした。
出せなかったのかもしれません。岡山に暮らしていた当時の鬱屈した気持ちと同じ家の中
当時の私が嫉んだ本に向き合う勇気が持てなかったという部分もあると思います。

私は、東京に戻る新幹線の席に座って、缶ビールを一本空けてから息を整えて
ちえちゃんの本を、静かに封筒から取り出して開きました。



その言葉の鋭利なこと。
何の気なく構えずに、本を開くように努めた私の意識など吹き飛ばしてしまうほどの強さで
彼女の言葉は、私が十年前に目を見張り、息を飲んだなまなましく鋭利な彼女の言葉は
当時の精度を保ったままで、そこに完全な形で保存されていました。

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写真が稚拙で申し訳ないですが、彼女の言葉が誰かの元へ届いて
その誰かが生身の肌を、チリチリ焼かれるような痛みを味わうことを祈ります。
彼女の言葉のなまなましい触感を伴う切迫性が、一冊の本として存在したことを
そしてその本と、十年遅れの今になってしまいましたが、正面から対峙できたことを
私は心から嬉しく思います。
当時、適当に読んでしまわなくてよかった。
今になって向き合うことが出来て本当に良かったと思います。

ちえちゃんは現在は言葉から離れて生きていますが、彼女がこの一冊を世に出したことを
彼女自身が誇りに思えますように。

アマゾンでは中古しかないですが、気になった方は、今からでもぜひ。
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by pinngercyee | 2013-07-01 19:05 |
こんにちは。
7月になって「夏なんだなあ」と思うと、去年訪れた名古屋のことが思い出されて
ぶっちゃけてしまえば、去年の夏の名古屋はVAMPS見に行った旅だったのですが
そのせいもあって去年の夏は、空気に滲んで見えるみたいにVAMPS一色で。

今年も久しぶりに夏の空気を吸い込むと、去年の記憶と一緒にVAMPSのライブが甦って
夏の音楽だなあとしみじみ思ったので、好きな曲を幾つか纏めてみようと思います。



ANGEL TRIP
2012年の夏のテーマでした。以前も書いたことあるけど。
私、自律神経が弱いおかげで、夏の間は日々、脱水と失神との戦いなのですけども
この歌の「はめ外してもっと騒ごう」「壊れそうになって騒ごう」「辛くても笑って」の一言に
救われるというか、支えを見出せたというか、何て言ったらいいんだろう、指標を貰えた感じで
この曲の、太陽の下の真っ白な光の情景と、全力で走り抜けるような疾走感のおかげで
初めて夏を正しく愛することが出来たような気がした曲。です。

DEVIL SIDE

この曲が始まると不意打ちで頭の上に人が降ってくるので(踵落とし含む)
私と友人は曲を聴くよりも身を守るための防御体制を無意識に取ってしまう怖い曲。
こうやって聴くと、本当に格好いいし大好きなのですけど。

VAMPIRE DEPRESSION

暗い色調で抑圧を滲ませて進行していくのに、サビの"just blind me, set me free"のところで
崩れ落ちていくドラムと一連のフレーズが格好良すぎて、毎度震えます。
個人的にライブで聴きたい曲一位。

DEEP RED

格好いい。

RED RUM

ぐうかっこいい。

SEX BLOOD ROCK N' ROLL

USAでもこの人口密度なんだなと思ってしまったので貼ります。
そういやVAMPSでフリとかヘドバンの記憶ってないなと思ったら
そんなことする余地ありませんでした。そういえばそうでした。納得。

sweet dreams

全てが終わって汗だくで我に返って、少し涼しくなった夜の中に出た時に
はたまた、知らない街の中でビールを飲んでライブのことを思い出している時に
深夜の高速バスの中でまばゆい記憶を辿っている時に
ホテルの部屋に返ってシャワーを浴びて、疲労の中でベッドに横たわっている時に
ずっと頭の中にある曲。
人ごみにペットボトルが押し潰される密度の中で、息することも忘れて手を伸ばす非日常の記憶と
自分が日々積み重ねている人生の中の一日と、自分の暮らす日常の世界の橋渡しみたいな曲。
今、なんでもない時に聴いても胸が一杯になって苦しくなります。
夏の記憶を甘く想う一曲だと思います。
この曲を初めて聴いたのは、2010年の大阪USJの駐車場だったと思うのですが
ステージの後ろの一面の空が赤く夕焼けていくのにこの曲が似合いすぎて、未だに憶えています。



毎年一度は見なきゃと思ってて。
で、夏でつらいし、ライブもハードだし、もうこれ修行かなと思って。
2011年は東京から福岡まで高速バスでわざと行ってみたら、それはやりすぎたと思いました。
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by pinngercyee | 2013-07-01 12:00 | 音楽