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赤い別珍張りの椅子。クラシカルで重厚な店内。円形の天井に教会の聖堂を想う。
ステンドグラスが外界との境を隔て、灰色のワンピースの少女たちが静かに給仕をする。



京都の四条通から木屋町沿いに少し下がった繁華街の中、フランソア喫茶室は密かに在ります。
私はフランソアで働く灰色のワンピースを着た少女たちに憧れていました。

あの制服を着ている限り、彼女たちは『少女』という生き物でした。
私も当時、『少女』と呼ばれる年の頃でしたが
人生で最も素晴らしい年の頃にすら、退屈な日々を過ごすつまらない自分を、私は嫌悪していました。
『少女』という言葉の想起させる華奢さや可憐さ、長い睫も白い手足も
『少女』の美点と呼ぶべきものを、私は何一つ持っていませんでした。

美しい場所で、迷いなく少女として存在する灰色のワンピースの娘たちを
私は何も持たない劣等感の傍ら、羨ましく憧れる気持ちでフランソアへ足を運んでいました。

歴史という名前の膨大な時間を吸い込んだ空間で
少女期という上澄みを何十年も積み重ねられている喫茶室。
珈琲を頼むと初めからクリームが乗って供されるのは、京都独特かもしれません。
クリームの乗ったまろやかな珈琲は、あの少女たちの場所にひどく似つかわしい飲み物に思われました。

美しくあるべきとされる年頃ではなくなってから、私はだいぶ生きるのが楽になりました。
もう何年も訪れていないあの場所は
今も灰色のワンピースの少女たちの居る、清らかで静かな空間であるんだろうなと
遠く離れた東京から、少し懐かしく、少女たちに憧れた季節を思い出して
久しぶりにあの清く重厚な少女たちの聖堂を、訪れてクリーム入りの珈琲を頂きたいなと
少女の齢を過ぎた私は、眠る前にぼんやりと考えたりしています。

フランソア喫茶室
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by pinngercyee | 2011-08-31 23:11 | 京都
今回も無事、『ランプ』の締切に、短い作品を二本書いて送ることができました!ふひ。
前回に続き、喫茶店のマスターとアルバイトの女の子が登場する他愛無い話ですが
愉しんで頂けると幸いです。字数も増やしたので、前回よりはちょっと書き込みました。



『ランプ』の紹介しておきますね。
『ランプ』は阿佐ヶ谷にあるArtspace元我堂の出版するフリーペーパーならぬフリー冊子です。
元我堂をはじめ、中野や高円寺、阿佐ヶ谷、吉祥寺周辺の、カフェや古本屋で
配布している(らしい)けど発行部数が多くないので、ご存知の方は多くないかもしれないです。
多く刷らなくても、喜んでくれる人のところへ、届けるという形なので
私も、前回は渡したい人、喜んでくれそうな人に、直接お渡しすることが多かったです。
ちなみに前号は、谷川俊太郎氏の手にも渡ったとか。きゃひー!

前回は、4月に発行の1号でした。
参加作家は、箕浦健太郎、100%片思い、樹子、鴨志田新悟、neki、田中六大、みどり、犬尾春陽、黒田将行(敬称略)

「バックナンバーをご希望の方は200円(送料込)で郵送いたします。
 封筒に200円分の切手を入れて、下記宛先までお送りください」

   〒166-0001 東京都杉並区阿佐ヶ谷北3-27-11 
    Artspace元我堂 元我堂出版『ランプ』編集部

問い合わせ
電話:03-3223-2028
twitter


今回の発行予定は9月末頃とのことですので、今から私も楽しみにしています♡
発行後は、元我堂で直接配る他、告知する配布箇所で入手
もしくは上記の取り寄せ方法も可能になると思います。
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by pinngercyee | 2011-08-28 23:46 | 日々
ところで今日は会社を休んだのですが
OKGOのビデオを延々見ていました。

「OKGOのビデオが面白い」、と聞いたのは相当前なので
すごい今更感があるかもしれないですけど、
面白かったので、暇な人はどうぞ。

大規模なピタゴラビデオ



犬ビデオ



食パンアニメ



見始めちゃうと口あけて見ちゃうのですが、どれも曲を思い出せません。ごめんなさい。
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by pinngercyee | 2011-08-26 21:11 | 日々
こんにちは。

いきなり更新ペースが落ちました。すいません。
ハードル低めるため、普通のことも書こうと思います。



この夏、夏バテに参って、油とお酒を抜いたストイック生活をしていたのですが
その中で、心の支えがありまして。

駅から帰宅する途中にある和菓子屋さんの、水羊羹が一切れ120円で
とても瑞々しくて気に入り、帰宅の折に立ち寄って毎日くらい買ってたのですが
そのうち、心の支えみたいになって、夕方仕事終わりの電車の中で
「帰ったら水羊羹食べるんだー」とニヤニヤするのも含めて日課みたいになってた昨今なのですが
毎日くらい寄ってても、話しかけてこなかった店主の人が、ある日
「お仕事帰りですか?」
と話しかけてくれまして。
内心(憶えられてないと思ってたけどやっぱり毎日寄ってたら憶えられてたのかー)と
思いつつ
「仕事帰りですー、水羊羹が最近の心の支えですー」
と勢い余って告白までしてまいました。

水羊羹いいですよね水羊羹。
早く暑くなくなって、夏バテが治って、ビールが飲めるようになりたいです。
それまでは水羊羹があればいいです。



ていうか、思ったのですけど、このブログ……
『いぬこの食いしん坊万歳ブログ』みたいになってくるような
もうなってきたような
ああもうどうしよう、でもなるようにしかならないよねーというような
雰囲気なんですが、宜しくお願いします。

なんかもっとロマンチックなこととか甘酸っぱいこととか
乙女をキュンキュンさせるようなブログにしたいとか
そんな野望もあったりなかったりちょっとあったりしたのですが
いいです諦めます。



何とか今回も『窓辺』の月末更新分の原稿提出できました。
今回は「リンデン」という、中学生の女の子が死のうと思って家出する話を書いています。
思ったより長くなってしまいましたが、読んでいただけると嬉しいです。
感想も頂けたら嬉しいです。



で、安心したと思ったら、月末に元我堂発行のフリー冊子『ランプ』の
締切があるのを思い出しました。
今回のテーマは「夕暮れ」。
どうしようかなーと思い、最近は「夕暮れ」についてふつふつ考えています。
「夕暮れ」って聞いたら、頭の中でジュディマリの歌が流れてきたので
youtube貼っておきます。


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by pinngercyee | 2011-08-26 20:30 | 日々
夏の夜、私が楽しみにしていることがあります。

お風呂から上がり、髪を乾かして、あとはもう歯を磨いて眠るだけ、という段階で
冷凍庫から1リットルのマンゴーアイスを取り出して
大きなスプーンで、ガラスのお皿に一掬い、二掬い、三掬い。

マンゴーの果肉をそのままアイスクリームにしたような濃密な匂いと色に
頬がほころぶのを感じながら
スプーンの先で、皿に盛ったアイスクリームの山から一口分を切り分けて掬い
一口ずつ、ゆっくり口の中で溶かすこと。

私は暑さに弱く、本当に苦手な季節なのですが
この寝る前にあの濃密なマンゴーのアイスクリームを食べる楽しみを思う時だけ
夏の夜は幸せだったな、と夏を遠く恋しく思うのです。

本当に格別に美味しいので、マンゴーが好きな人はぜひ♡



カルディのマンゴーアイス
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休日の朝、唐突に「とびきり美味しいフレンチトーストが食べたい」と思った時、どうしますか?

焼き色の付いた絶妙の密度でほぐれるパン
卵黄色にジットリ染み出す柔らかな熱を持った甘さと
ゴールドに光る蜂蜜の匂い
添えられた白く軽やかなホイップ

フレンチトーストに関しては、一度「食べたい」と思ってしまうと、妄想はとめどなく
自宅で作ろうと試みたり
(上手くいかなくて悲しくなったり)
「京都に居たら『スマート』に行けば好いのになあ」と思ったりと
頭の中で完成されてゆく完璧な美しいフレンチトーストを夢に見ているばかりだったのですが。

一軒だけ、見つけました。
そこで余りに完璧なフレンチトーストに出合って以来
私は、フレンチトーストに焦がれなくてすむようになりました。
完璧なフレンチトーストが食べたければ
千代田線に乗って根津まで足を伸ばせば良いと知ったことで
東京での暮らしが、どれほど心強くなったことでしょう。



根津の『cafe Nomad』を知ったのは、友人から「弟が働いている」と聞いたのが切っ掛けでした。
初めて見た外観の印象は、今どきのお洒落なカフェ、という感じで、
私は友人に教えられなければ前を通りかかっても、立ち寄らなかったかもしれません。

もう何年前になるでしょう?
初めてこのお店を訪れて、感動に言葉を失って以来
当時私は東京で大学に入り直し、夜間学部に通いながら自由きままな暮らしをしていたので
「フレンチトーストを食べたい」と思うたびに
「友達にこのフレンチトーストを食べさせてあげたい」と思うたびに
地下鉄を乗り継がなければ辿り着けない根津まで、よく出向いていました。

大学を卒業して働き始め、気ままな暮らしが終わりをつげても
上野や根津に出向いた折には、必ず訪れたいと思うお店です。



フレンチトーストのことばかり褒めましたが
喫茶店としてもとても居心地の良い素敵な場所なので
ぜひ根津をお散歩の折には、訪れてみてください。
その時には、ぜひ言葉を失う完璧さのフレンチトーストを♡

★メニュー表には『フレンチトースト』の記載はないので、ケーキセットを頼み
入り口前のケーキのショーケースに貼ってある『フレンチトースト』を選んでみてください♡
★100円プラスでアイスクリームを乗せることができるのですが
これは必ず乗せたほうがいいです。後悔しないので絶対乗せてください。美味しいから。
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京都で初めての一人暮らしを始めたころの私にとっての贅沢は
何の予定もないぽっかりとした休日に、一乗寺にある書店『恵文社』に行くことでした。



昼前に起きだして、洗濯をし、布団を干して、簡単な朝食を食べて
自分にとって特別な場所へ赴くために、礼儀正しく上品な可愛い服を選ぶこと。
素敵な休日を過ごすためには、素敵な日に相応しい素敵な洋服を選ぶことが、
最低限必要な条件だと、現在よりも強く、当時の私は信じていました。

学校には着て行かない特別なワンピースを着て
普段は履かない革の靴を出して
出町柳から、叡山電車で二つ駅を越した一乗寺に向かいます。

駅員の居ない一乗寺の駅を出て右手に暫く歩くと『恵文社』があります。



東京からも新幹線に乗って行く人がいるだとか
本を出版したりだとか
雑誌に取り上げられたりだとか
近年は、東京に住んでいても耳にすることがある『恵文社』は
当時、まだ地元の美大生や芸術系の学生が主に集う
知る人ぞ知るというような場所だったような気がします。

ガラスの嵌め込まれた木製の扉を押し開けると、一瞬で空気の質が変わるのが感じられます。

どんなに見回して見ても日常の世界である扉の外と、密やかな時間が静かに沈殿するような内側。
一歩足を進めるごとに、木張りの床が「キッ」と高くかすかな音を立てます。
展示されている美術品のように、そこでは本の一冊までもが、その場所に存在する
その理由を与えられていると、静かに強く感じることができます。
普通の本屋の軒先に並ぶ、アルバイト店員の媚笑にも似た気安さの表情と比べて
恵文社に並ぶ本は、一冊残らずそれぞれが己に誇りを持っているように見えました。

小さく澄んだ音で音楽の流れる店内を、息を潜めて、足音を立てないよう気を付けながら
静かに見回して歩きます。

初めて目の合った本。
私の手が伸ばされることを運命付けられているような、特別な一冊。
サラサラと微かな音を立てる万華鏡。
なめらかで薄い紙で仕立てられた小さな手帳。
セーヌの青と名付けられたインクの色をした便箋。
掌に収まってしまう小さな宇宙のような銅版画。
小さな橄欖石の首飾り。
昔の詩集。

月に一度だけ、私は「恵文社で欲しいものを全部買ってもいい日」というのを作っていました。
とは言っても、高価なものは買えません。
丁寧に店内を歩いて回って集めた、宝物のような上記の品々を買ってもいいという日でした。
それがどれほど特別に、贅沢で幸せなことだったか。
一年前まで、アルバイトもさせてもらえず、欲しいものを諦めるばかりの高校生だった時分からは
想像も付かないほどの、贅沢なことでした。



会計を済ませ、両手にすっぽり収まる大きさの紙袋に宝物が収められた後は
それを静かに楽しむ場所へ向かうのです。
適当なお店や、煩雑な場所、日常の匂いのする場所ではいけません。
宝物を広げて、ひとつずつ確かめるための場所に赴かなければいけません。



今はもう無くなってしまったのですが、当時百万遍を下った場所にある日仏会館の一階に
藤田嗣治の絵のある喫茶室がありました。
庭には噴水があって、それを取り囲む木々は秋には葉を散らせて
その下のテラスに出されたテーブルで、お茶を頂くことができました。
煮詰められた林檎のタルトを頂きながら、秋の日の昼下がりに
買ったばかりの包みを解き、私のものになった美しい物たちをひとつひとつ確かめる時間が
私の知っている中で、一番の贅沢ではないかと、思います。
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by pinngercyee | 2011-08-17 23:15 | 京都

小学校で同級生だった柴田さんという女の子が居ました。
ある日、彼女が私に言った言葉が、20年も経つ今も、
あの日のままに私の時間を止めている、と思い出すことがあります。



まだ何も書かれていないノートの紙面を指さして、柴田さんは私に
「これ、白いよね」
と、言いました。
私は何の疑念も迷いもなく、
「うん、白い」
と応えました。

教壇の上に立ち、背中を向けて黒板を消す教師の後姿を指さして
「あの、先生のブラウスって、紺色だよね」
と言いました。
「うん、紺色」
私は再び、肯きました。

夏休みの近い時分の教室の窓から見える空を見て
「青いよね」
と言いました。
「うん」

「黒板って、黒板って言うけど、緑色だよね」
「そう言えば、そうだね」
「良かった」



そこまで私に同意を求めてから、柴田さんは少し安堵したように息を付き
呟くように続けました。

「あのさ、もし、自分に見えている色と、他の人が思っている色が、本当は違ったら、怖くない?」
「どういうこと?」

「『赤』って名前だけど、私が思っている『赤』は、他の人が見たら『青』かもしれない
 葉っぱは『緑』っていうけど、私が見ている『緑』を、他の人は『黄色』って呼ぶかもしれない。
 空は『青い』って言うけど、私が信じてる『青』が、本当は『紫』なのかもしれない。
 そんなこと、誰も確かめられないから、誰も否定できないでしょう?」

私は、考えたこともないことを指摘され、返す言葉に詰まってしまいました。

「名前が一緒だから、誰も気づかないの。実は「空は青」「草は緑」って言っても
 みんな本当は違う色を見ていて、私だけ、間違った色を、見ていてたらどうしようって

 時々ものすごく怖くなる。」



それまで私は何の迷いも疑念も抱かず
「みんな同じものを見て、同じ名前で呼んでいる」のだと信じていました。
それが普通なのかもしれません。
自分の見ているものが、他の人にも同じように見えている確証なんて
確かに言われてみれば、どこにもありません。

ただ同じ名前を共有しているだけのこと。
本当に、みんなの言う『青』は、本当に『青』なのか。
みんなの言う『茶色』は、私の見ている地面の色なのか。



柴田さんの言った一言で、あの日私の時間は一度止まったように思います。
あの日、私は彼女を安心させてあげたかった。
「考えすぎだよ、大丈夫だよ」と言ってあげたかったけれど
そんな根拠のない気休めでは、柴田さんどころか、私も納得できないことは
よく分かっていました。

あの日から、私は彼女に何と答えれば良かったのか、ということを
ずっと考え続けているのかもしれません。

大人になってしまった彼女が、今、どこでどんな人生を歩んでいるかも知らないけれど
彼女自身が、もし、忘れてしまっていたとしても
あの日の彼女に、私はいつか、納得のいく答えを返してあげたいな、と思うのです。
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by pinngercyee | 2011-08-16 00:09 | 記憶
『街はぴ』記事書きました!
宜しくお願いします♡

http://shinjuku.happy-town.net/t_shopping/00011871.html
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「変哲のないマンションの一室に、靴を脱いで上がる不思議な本屋がある」

その話を、最初に知ったのは、もうどのくらい前になるのか思い出すこともできません。
誰かから聞いたものだったか。
雑誌の記事で見かけたのだったか。

私は(例によって)長い間、そのお店を見つけることができませんでした。
三条寺町の界隈を通りかかった折に、「今日こそ見つかるかな」と曖昧な情報を辿って
通りの両脇の建物を見回しながら、何度も付近を歩いては、その度に諦めたものでした。

名前だけは知っていました。
『アスタルテ書房』

三条寺町界隈にあるということも知ってましたが、何度探しても
お店の看板すら、見つけることができず、いつしか私は半ば諦めたような気持に
なっていたのを思い出します。

窓のない密閉された一室の、壁はすべて天井までの本棚で埋められて
部屋の中、そこここに美意識に裏打ちされたものが配置され
静けさの満ちる店内に、息を潜めてお邪魔させていただく
そんな日は、突然に訪れたのでした。



「御幸町でジュエリーハイツというマンションを探すといいよ」
友人から聞いた言葉を頼りに歩くと、ジュエリーハイツはあっさりと見つけることができました。

マンション入り口の集合ポストにも、店の名前は記されていません。
「これじゃ、どんなに見渡しても見つかるわけないよね」と苦笑して
私は、幾度も前を通り過ぎたことのあるマンションの階段を
見ず知らずの人の暮らす場所に勝手に足を踏み入れる時の罪悪感で一段ずつ登りました。

二階に上がると一室の扉が、薄く開かれ、
薄暗い気配の中から暖色の明かりがこぼれているのが見えました。

ドアノブに手を伸ばす前に、ひとつ深く息を吐きます。
「澁澤龍彦が愛した店」
「美しいもの・退廃的なものを集めた秘密主義な店」
「古書や絵画、映画や思想など耽美的なものを扱う」
それまでに耳にした情報が、ふと脳裏を過ぎてゆくのを感じました。



上り口で靴を脱ぎ、置かれたスリッパを借りて、店内に入ると
しん、と冷たさが感じられたような気がしました。

誰かの古い書斎を訪れているような。
呼吸の音すらうるさく思える静謐さで、私は息を潜めて店内を見回して、少女の横顔に目が留まりました。

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米倉斉加年によって描かれた少女の横顔の銅版画。
嘆くような悲痛さの少女の横顔は、白と黒の画面の中に永遠のイメージとして焼き付けられていて
私はその絵に、それまでの緊張も忘れて、吸い込まれるように見入りました。

価格は12,000円程度だったと思います。
財布の中にあるお金で足りる、と思った瞬間に、迷いなど一切なく、私はこの絵を購うことを決めました。

その日は暗く冷たい雨の降る日で、冷静に考えると、絵を買うなら晴れた日に出直したほうが
持ち帰るに適していると思うのですが
私はその絵を、その日に、持ち帰らなければいけないと、強く思ったのを覚えています。
「今日を逃すと、二度とこの少女の横顔を、見ることができない気がする」
そうなると後悔に耐え切れないことがはっきりと分かるだけに
雨の降る中でも、この絵を買って、持って帰らなければいけないのだと思ったのだと思います。

雨よけを施してもらい、私は絵を自転車の前かごに入れて、いつもより注意深く
小雨の降る夕暮れの街中を走りました。
その日に訪れたお店のこと。
その場所での奇跡のような一枚の絵との出会いのこと。
きっと一生大切に、憧れ続けるだろう一枚の絵を、幸運にも手にすることができたこと。
そんな出来事が嬉しくて、「今日のこと」を忘れてしまいたくなくて、私は高揚する気持ちを抑えるため
当時、河原町三条北の教会脇にあったエリゼという喫茶店に寄ることにしました。

その日のことは、今でも、つい先日の出来事のように思い出すことができます。
雨の降る京都の街の匂い。
息を潜めた時の肌にしみる静けさ。
転倒しないよう絵を守りながら注意深く自転車を走らせた夕方。
エリゼで飲んだ紅茶の味。

あの時、私が何歳で、どんな暮らしをしていたか。
そんなことは全て曖昧でおぼろげなのに、あの日の記憶は瞼に浮かぶほどに鮮明です。
きっと人生のうち、こんな風に憶えている日が幾日かはあるのでしょう。
そういう日を記憶として積み重ねて、私は大人になるのかもしれません。

アスタルテ書房
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by pinngercyee | 2011-08-13 02:11 | 京都