カテゴリ:忘れられない場所について( 4 )

実家から自転車で行ける場所にある古書店「万歩書店」が、古書好きな人にとっては
県外や地方からわざわざ赴くべき有名な場所であるということを初めて知ったのは
大学の時のサークルの先輩が、京都からわざわざこの店を目的に岡山を訪れたことが
切っ掛けであったように思います。

万歩書店

「有名な古書店なんだ」と知った後も、取り立ててピンと来たことがなかったのですが
今回、妹に誘われて改めてゆっくり訪れてみて、心から圧倒されたので
ここに書いておこうと思った次第です。
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店頭は普通の感じ。
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棚のたわみ具合にお店の歴史総てが凝縮されてる気がしました。

店内の写真は禁止とのことで、撮って来られなかったのですが、凄まじかったです。
奥行きも、本の多さも、棚に並ぶ本の内容も。二度見どころじゃないです。
今までに出版された本の大半、雑誌の大半までも揃うんじゃないかと思いました。
68年刊行以降ののガロがずらっと並ぶ棚があったと思うと
貸本屋流れの一般流通しなかった本ばかりを集めた棚があったり
水木しげるや手塚治虫に関しては、今まで刊行された全てのパターン(少年雑誌コミックス版含め)
がそれぞれに並んでいたりと、存在すら知らなかったような本が、数千円の値段ではありますが
普通に購買可能なものとして数えきれないくらいに並んで居ました。
あと、個人的に驚いたのは、70年代のアニメ雑誌の棚が圧巻でした。全部揃うんじゃないの。
こんなところの着目点でしか、万歩書店のやばさを伝えられない自分が悲しいですが。
伝わりますでしょうか。

普通の本もありました。ブックオフに並ぶようなものもあるし、新刊の漫画も並んでたりします。
漫画や雑誌に主眼を奪われてしまいましたが、古書店として文献書や学術書も店の奥に凄い量が
備えられていることが窺い知れました。

ちょっとおかしいくらいの店内の広さは230坪というから驚きます。(さらに二階もある)
真面目に少し、次元が歪んでるんじゃないかと思いました。

古書が好きな人、絶版本との出会いを求める人は、一度訪れてみて損はないと思います。
個人的な印象では、神保町を一日歩くよりも、収穫多いのではないかと思いました。

50万冊、伊達じゃないです。やばい。



蛇足ながら、今回ここを訪れた理由はというと
「こたつに入ってWiiやりたい」という私の提案に妹が乗って
「Wii本体、中古で安く売ってたよ!」ということで訪れたのでした。

ソフト梱包Wii本体セットで、9000円でした。有難うございます。
これで実家に帰ってもWiiでゲームができるようになりました。
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高校の通学路の傍らに、禁酒会館という名の建物があることは、当時から知っていました。

禁酒会館

古ぼけた木造りの、例えて言うなら旧校舎のような建物で、
市街地の中心部にそこだけが取り壊されずにあるのが不思議な存在であったけれど
足を運ぶ機会も理由もなかった高校生にとっては、それ以上の興味を抱く存在ではなく
私は、岡山に住んでいる間に、一度もこの建物の中へ足を踏み入れたことはありませんでした。

京都で進学した大学を三年通った後に辞め、ふらふらとアルバイトをして暮らしている時
岡山に住む有志の人の詩のイベントに誘われることがあり、私はその会に暫く所属して
月に一度の催しの際には、人前に出て、自作の詩を朗読したりしていました。

その会場は数回の後、近場のカフェから禁酒会館二階の会議室へ移され
私は月に一度の催しの際に、毎月この場所二階の部屋を訪れることになりました。

会議室という名の二階の小部屋には、古ぼけた時計と、ピアノが備えられていました。
催しのこと自体はあまり憶えていませんが、あの部屋で過ごした何度かの冬の日のことを
私は時折、断片的に思い出します。
古い学校の体育館のようだと思ったことも。音楽室のようだと思ったことも。
参加者の一人がピアノが上手で、空いた時間に次々と曲を弾いて見せてくれたこと。

夏の催しの際には、二階の会議室ではなく、禁酒会館の裏庭にある小さな野外ステージを借りて
その会は催されました。
城壁を奥にして、高くそびえる木を傍らに、夏の湿度を含んだ空気が沈殿するような
他の場所よりも少し濃い密度で、夏の夜を過ごしたことを思い出します。

半年余りの参加を経て、個人的な事情で会を辞めた後、
私はこの場所を訪れることがありませんでした。
機会もなく、また理由がなければ立ち入ってはいけない場所という認識が
私の中であったからだと思います。

それから十年近くの時間が経って、今年の春に帰省をした時、友人と会って街を歩いていて
この禁酒会館の一階が、喫茶室になっていることを知りました。

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「ちょっと寄って行ってもいい?」と友人に頼み、
この建物の中に置いてきた記憶を辿るようにして、私はこの場所に再度足を踏み入れました。

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二階の上り口の景色。時代が止まったままのような景色。

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廊下の薄暗さ。

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記憶の通りの二階の会議室。ピアノも窓も時計も、記憶のままでした。

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ステージのある裏庭に出る時の、記憶のままの景色。

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裏庭から見上げた石垣の上にあるお城のような建物。

私は当時見ていたものを確かめるように、シャッターを切りました。
記憶の中で、嘘か本当か分からなくなりつつあった景色が、今目の前にあるのだということを
写真という形で確かめたかったのだと思います。

友人は笑って付き合ってくれ、私はひとしきり写真を撮り終えた後に
彼女と一階の喫茶室で珈琲を飲みました。

喫茶室の名前は『ラヴィアンカフェ』
焙煎もしているらしく、珈琲は重さがありつつ円やかで美味しかったと記憶しています。
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ラヴィアンカフェ
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大手町に用事がある度に訪れる丸の内oazo丸善の文具売り場で
私はその日、いつものような心ときめく買い物ができないまま、
せっかく足を伸ばしてここまで来たのに、という期待を裏切られた落胆と
まだ何か、私が見ていないところに特別な出会うべきものが潜んでいるのかもしれないという
帰りたくない気持ちに理由をつけて、私は下りのエスカレータに足を進める前に
四階のフロアをぐるりと見回しました。

その右手奥。傍らに広がる輸入書・美術書の売り場とは趣の異なる一角に
先ほどエスカレータ脇の壁に書かれていた『松丸本舗』という屋号が示されていることに
ふと目が留まります。

「どうして本屋の中に本屋があるんだろう?」

入口から内部を覗き込んでみると、区画の中は天井まで伸びる高い本棚に占められていました。

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本屋や図書館などの多くの本を扱う場所で見慣れた、整理された直線的な印象はありません。
本棚はところどころ高さを凹凸させ、それ自体が前後に曲線を描いて、内側へ誘うようでした。

ところどころにテーマとなるらしい言葉が掲げられ、それに従う書物が
出版社や作家名などに関わらず、誰かの目で関連深いものが選ばれているということが見てとれます。

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歩を進めるごと、視線を動かすごとに、違うテーマに集う本たちが、私を取り囲むのを感じます。

森みたい。
そこここの場所でいろんな花が咲いて、いろんな色をした蝶たちが何万匹も集っているみたい。

そんなことを感じながら、どこに何があるのか、どこに目を向ければいいのかわからないまま
私は、本当に森の中を迷っているように、四方へ目をやり、目についた言葉に立ち止まり
それまで感じていた疲れや空腹も忘れて、曲線を描く店内を魚みたいに周遊しました。

さまざまな題材がありました。
歴史や情報学、天文学から音楽、映画、料理、生活、伝統芸能、精神学。
デカダンスにアバンギャルド。旅。
目につくものを数えてみても、数えきれないほどの題材は、森というより森羅のようでした。

「知的な大人のための、ビレッジヴァンガードみたいなものかな」
「恵文社みたいなセレクト書店なのかな」
「本当に本が好きな人じゃなきゃ作れないだろうな」
ここがどんな場所なのか、うまく把握できないまま私は店内を歩きながら
この場所をうまく説明できる言葉をぼんやりと探していました。

『少女・乙女』
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掲げられたテーマに思わず足を止めます。
『少女・乙女』は私が長らく拘泥して、自分でも手当たり次第に調べた題材ということもあり
この分野にくくられるだろう本に関しては、ある程度判断ができます。

正直、相応しくない本や私の目から見て低俗な本が含まれていれば、私は素直に落胆した筈です。
筈、というのは、その書棚の審美眼が、私の予期した以上の正確さで、私を落胆させなかったからでした。
幾百にも上るだろうテーマのうちの一つ、『少女・乙女』というものへの深い考察と正しい審美眼に
私は驚きと共感を覚えました。

そしてその、正しい審美眼への期待は、『探偵小説』の棚の品揃えで確信に変わりました。
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お仕着せの分野分けなら、これほど愛情を持った本選びができるはずもありません。
ここに集められた本たちは、愛情を持って、詰め込まれるように集められているのだということ。
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なかなか売っているところ自体見かけない新青年傑作選を取り揃え
探偵小説を書くことが有名ではない作家までを含むの探偵小説傑作選を揃えたこの本棚は
誰かの共感を待っていたのかもしれないと感じました。

私は「感動」したのだと思います。
これほど題材に、愛情を持った潔癖で正確な本選びをしている書店を
私は見たことがないと感じました。

題材に関する専門店というならば、話も分かります。
しかしこの題材の量。目で追うだけでも果てしない量の、天井まで聳える量の本たちは
この愛情を持った誰かに選ばれ、正しい場所に一冊残らず正しく収められているということ。

本棚を見れば、その人が分かると言います。
しかし、これだけの本を、これだけの分野を、宇宙のように内包している『誰か』に
この書店を作った『誰か』に、私は、ここで初めて尊敬と信頼を抱いたのだと思います。

信頼できると思うと、それまで流し見ていた分野まで、ひとつひとつ覗いてみたくなりました。
私の知らない世界を熟知した誰かの、確信のある審美眼で選ばれた
手引書であることに違いないからです。

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それぞれの棚に添えられた言葉は誰のものなんだろう、という関心が湧き
私はレジにいた書店員の方に尋ねてみることにしました。



「すいません、店内に書いてある手書きの言葉は、誰が書いているんですか」
書店員の男性は、私のこんな唐突で不躾な質問に、丁寧に答えてくださいました。

この書店は総て、『松岡正剛』という人の『千夜千冊』という読書録にある本を核にして
題材立てられ、作られていること。
書かれている手書きの言葉も、総て店長である『松岡正剛』という人の肉筆であること。

「入口に並んでいる赤い本をご覧になりましたか」
いいえ、と私が首を振ると、書店員の方は入口へ私を導いてくれました。
「これが、この書店の核になっている『千夜千冊』です」
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一冊が五センチもあるのではないかと思われるような厚さの本は総て、松岡氏が選んだ千冊を
紹介したものであるということでした。
「松岡氏は、これを書くにあたって、既読の本も全て読み返したそうですよ」
一冊一冊への紹介文を書けるだけの愛情があればこそ、という納得の傍らで
私は名前を見知っていただけの松岡氏が脳内にしまっていた宇宙の内包する壮絶な読書量に
思わず言葉を失いました。

「凄いですね……」
書店員の方は、誇らしそうに笑みを返してくれました。
「松岡はですね、こんな本屋を作ったのは、もっと多くの本との関わり方があると示したかったんですよ」
「関わり方っていうのは?」
「最初から最後まで読むことが一般的な読書ですが、本というものは
 もっと多くの関わり方ができるっていうことです。
 たとえば、開いたページを読むだけで意味のあるもの。
 飾ってあるだけで嬉しくなる美しい本。
 読もうと思って積んでいるだけで、わくわくするのも立派な本との関わり方ですし
 もちろん辞書みたいに必要な時に取り出してみるのも、一つの関わり方です」
「一行取り出して書きとったりだとか」
「そうです。それも一つの関わり方です。もっと本との遊び方を示したいということなんですね」

「なるほど、」と納得する私に、書店員の方は奥の棚を指さしました。
「あちらの棚は、松岡が好きな人たちに頼んで、彼らの本棚にあるものを再現したものなのですよ」
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『本棚を見れば、その人が分かる』ということを、逆説的にやってしまうことに
「あの人の本の並びが見たかったから」と悪びれもなく書店の中で実現してしまうことに
私は目から鱗が落ちる思いがしました。
(初めて一人暮らしした部屋は、本棚を人に見られたくないからという理由で
 大学からバスで40分離れたところに借りていた私には、耐えられないと思ったり)

「松岡は、総ては編集だと言っていまして」
「編集」
「そうです。この本の体系付けや分類や。興味の繋がる方面へ、ひとつひとつ広げていくこと」
私が目を見張った、潔癖な審美眼は、松岡氏による編集という形の産物であるということのようでした。

「本の選び方に、とても感動したんです。ここのことを、ブログに書いても良いですか」
そう尋ねた私に快諾してくださったNさん、貴重なお話を本当に有難うございました。

東京駅で下車する機会がある時。
大手町に用事があった日。
そんな時には、私は必ずこの書店を訪れるようになる気がします。
その時折々で、私の目に留まる題材は、きっとその時の私に必要な要素であるのでしょう。
まだ見ぬ何か、まだ見ぬ私にとって必然な世界への入り口を
信頼する書棚の前で、感性を研ぎ澄ませて探すこと。

そんな幸せな、本との関わり方ができる場所は、なかなかありません。



興味を持たれた方は、一度訪れてみて下さい。
予感に従って棚の間を周遊して、愛と確信を持って選ばれた本たちの中から
今の自分に必要な一冊を見つけ出す喜びを。

松丸本舗
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あれは、夏が近い時候だったように思います。

県内でも有数に校則が厳しいとされた私立の女子高に通っていた私は
同級生たちのように、規則を破り、おしゃれをして、放課後に遊びに行ったりはできませんでした。
どうしてできなかったのか。
――それはきっと規則があるなら守らなければいけない、という
良識にも似た臆病さだったのではないかと、今になって思い出します。

高校生だった当時の私の放課後の楽しみは、学校から少し歩いた場所にある、大きな書店に寄ることでした。
コンサートホールを抱える大きな建物の地下フロアを全て使った広大な敷地の書店は
さ迷い歩くだけで、もの知らずな高校生の私に、多岐に渡る未知の世界が手を差し伸べてくれているように思えました。
輸入された美術書。和紙を漉いて作った絵葉書。草花の図鑑に、詩集、料理の本。
小さな出版社から出された美しい本。高級な万年筆。新刊の棚に、名作の詰まった文庫本の棚。
私は飽きずに、毎日、その広大な本屋の敷地を魚のように周遊していました。
欲しいものを買いに行くことはほとんどなかったように思います。
ただ「何か」。
自分にとって宝物になる「何か」を、この書店という海の中から、毎日何か一つ見つけ出すこと。
私は自分にささやかでもいいからこの場所で「何か」を見つけることを課していました。
一本のペンでもいい。一冊の文庫本でもいい。漫画でもいい。絵葉書でもいい。
ただ自分の心が動くものを見つけ出せるまで、私は参考書の棚から専門書の棚までも
背表紙を見ながら、歩き続けることが、私にとって唯一の自由でした。

ある日の放課後、薄暗い雨の降る夕暮れ近い時間に、私は傘をさして書店に続く坂を歩いていました。
普段から人通りの多いとは言えない煉瓦敷きの道は、雨音に覆われ、ほとんど人の姿はありませんでした。
足元を見ながら歩く癖のあった私は、そこに小さな喫茶店があることに、その日まで気づきませんでした。
車が過ぎゆき、目を上げた道の向こうに、小さな柳の茂る植え込みとそれに隠れる扉があって
ガラスの向こうには暖色の光が灯り、穏やかな場所の気配がしました。
入口にうつむいた柳の葉が雨に濡れて水を滴らせ、緑の色を濃くしている陰には
小さな看板がありました。『カフェ三四郎』

私は書店の中でも感じたことのない何か、特別な予感を覚えて、その場に立ち止りました。
強くなり始めた雨の下で、冷たい音を聞きながら、私は暫しの間考えて、再び歩き始めました。

飲食店への立ち入りは、校則で禁止されていました。
髪の長さや、靴下の長さにまで厳しい規則のある学校で、こんな学校のすぐ近くの喫茶店に立ち入ることは
自殺行為に他ならなかったのです。
予備校の授業前に、制服でファストフードに寄った同級生は、先生に見つかり謹慎処分を受けました。
学校から近いこんな場所で、制服を着たままガラス張りの喫茶店に入ったりしたら、私は間違いなく何かの罰を受けるでしょう。
それが、怖かったのです。
喫茶店に入ることがそれほどの罪とは思えないながらも、私は予感に目を背けました。

結局、その喫茶店を訪れることができたのは、高校を卒業して、京都の大学へ進み、地元を離れた後でした。
あの日に、雨の中で濡れた柳の葉の陰にあった、穏やかな気配を遠く思う気持ち。
穏やかで暖かな場所で、静かに珈琲を飲んで過ごす午後への憧憬。

あの日の記憶が、私が喫茶店を好きになった理由と言ってもいいのかもしれないと
雨の降る夕暮れの中を傘をさして歩くと、そんなことを思い出したりします。
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