カテゴリ:東京( 7 )

お知らせするのを忘れていました。
街はぴ記事をひとつ書きました。

まっすぐに立つやりかたを思い出せる場所 『あんず村』

友人ショコラの話です。
楽しんでいただけるといいな。
写真こちらに貼っておきます。
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「二人でこんなに食ったの」というのは禁句です。
(とてもお腹いっぱいになりました。)
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by pinngercyee | 2014-06-25 14:24 | 東京
完成したランプ第三号を受け取りに
『アートスペース』より『手しごとや』へ代替わりした元我堂へ初めて行ってきました。

今年の五月までのアートスペース時代は、ランプを作っている場所として
製本作業やいろいろで足を運んでいたのですが、代が変わってから、私が赴くのは初めてで
アートスペース時代は、人が集う場所だった元我堂がどうなっているのか
全く予想が出来なかったのですが、阿佐ヶ谷駅北の見知った道を歩いてその前に辿り着いてみると
以前と場所の趣を変えながらも、元我堂は人が憩っている場所で、そのことが何より嬉しかったです。
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この日は阿佐ヶ谷でジャズストリートが催されていたらしく、元我堂の店の前では
屋台が出され、お料理とお酒などが振る舞われていました。(注:店頭の屋台はいつもはありません)

久々にお会いした黒田さんにお願いしていたランプ冊子50冊(犬尾配布分)を受け取り
コップに並々の白ワイン(350円)を頂きながら近況などを話していると
元我堂を訪れた時に感じる安心感と言うか、なんというか暖かく用意された居場所のような
アートスペースで在った頃と変わらぬ『人の居る暖かい場所』というものであることが
感じられたような気がしました。

元我堂を訪れるたびに感じるのが、人との繋がりというものの暖かい力です。
こんな風に言うと、なんか胡散臭く聞こえてしまうのも百も承知なのですが
そういうしかないほど、この場所は人と一緒に一時の時間を過ごすということの暖かみを
教えてくれる場所だという気がするのです。
私は普段、おそらく人見知りの気があって(一度打ち解けるとそんなことないのだけど)
初対面の人に自分から話しかけることを実はあまりしないのですが
そんな私ですら、この場所を訪れると、微塵の疎外も感じずに、暖かく迎え入れられることを
初対面の人にも壁を感じずに、一時の憩いを楽しむことが出来ているということを、思い出しました。

お店の中は、アートスペースから代替わりしたこともあり、棚が作られて
さまざまなものが置かれていました。
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店内で、ギターを奏で続ける青年。
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写真の奥に写る新しい店主の方にご挨拶して、
元我堂が人が集う暖かい場所であったことが嬉しいと伝えると
「屋号の『手しごと』っていうのは、雑貨だけではなくて、色んなものを含める言葉なんです」
「人が手で作ったもの、たとえば音楽だって、料理だって、絵だってそうです」
「人の存在を大事にしたものを、扱っていける場所にしたかったんです」
と言うことをお聞きして、なるほどな、と合点がいったような気がしました。

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『手作りされた物』手捻りの食器や、誰かの手で大切に造られた物たち。
人々の生活の傍らにある音楽。料理。絵や漫画。書くこと。縫うこと。奏でること。込めること。
そんなものに封じ込められた慈愛のようなものを、人の暖かさの傍らに集めたような場所なんだと
訪れてみて、改めて感じることが出来ました。



空腹を感じ、店先の屋台で出していた食べ物を、盛り合わせたものを作ってもらうと
ひとつひとつがぎっしりした密度の味がして、とてもとても美味しくて、店頭ながら
夢中になって平らげてしまいました。(食べるのに夢中で写真を撮ってくるのを忘れました)
チーズとお肉の味がするショートパスタ、濃密なグレイビーソースの骨付きのお肉。
店を出していたのは、普段阿佐ヶ谷のイネルで金曜土曜に食事担当をしている千幌君という青年で
めっきり私は、彼の料理のファンになってしまいました。
曜日を選んで、訪れたことのないイネルにも、足を運んでみようと思います。

手しごとや 元我堂

千幌食堂



あ!
後日、こちらの『手しごとや元我堂』で、私の『月夜』『領域』をお取り扱い頂けるそうです!
納品したら、またこちらで、お知らせしますね。ともども宜しくお願いします☆




(追記)
『月夜』『領域』『ワルツ』を納品しました。
試し読み冊子もありますので、お立ち寄りの際は手に取って頂けると嬉しいです。
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by pinngercyee | 2012-10-28 15:40 | 東京
神保町に足を運ぶたびに、どこの喫茶店を訪れるか迷うのが、私の楽しみの一つになっています。
訪れた時の、季節や同行者、時間帯にもよって、その時々で選ぶ目的地は異なるのですが
私の選ぶ店は、いつ訪れてみても外れのない下の数店の中からに絞られつつありました。

神保町の喫茶店で、私が初めて知った店、映画『東京日和』に使われたという『さぼうる』。

美味しい珈琲が飲みたい時は、日曜日に古書のセールをしている小宮山書店地下の
神田伯剌西爾(ぶらじる)』。

薄暗く広さのある店内で、静かな時間を持ちたい時には『ラドリオ』。
夜はバーになるので、私が訪れるのは昼のみ。

その向かい、珍しいタンゴ喫茶として、今なおクラシックな佇まいを保つ
ミロンガヌォーバ』。

神保町で一番古い喫茶店だったという『きゃんどる』は
小学館向かいのビルの一角に移転しながらも、慎ましい小部屋として凛と存在しています。



ところどころで名前を見かけながら、訪れたことがなかった『トロワバグ』を
先日、初めて訪れることが出来ました。
久しぶりに会った物知りの妹と歩いているとき、どうせなら彼女も私も知らない場所を
訪れてみたいと思ったことで、『トロワバグ』の名前をふと思い出したのです。

「あの辺にある店だと思うんだけど」という私の曖昧な誘いに
妹は嫌な顔をせず付き合ってくれました。
今まで、幾度も通り過ぎたことのある場所、神保町の交差点の一角にあるはずの場所を
私はそれまで、見つけることが出来ておらず、見つけられなかったらどうしようという不安も
片隅に過る気持ちもありながら、地下鉄駅の集まる神保町交差点へ足を向けました。

目指す看板は、あっさりと見つけることが出来ました。
それまで一度も、知りつつ見つけることのなかった看板がこんな夜に現れたのは
まるで、久しぶりに会う物知りの妹と色んなことを話す夜を
店が選んで迎えてくれたように思えました。

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逆に言ってしまえば、それまでどうして私はこの店を見付けることが出来なかったのでしょう。
これほどまでに、堂々と存在している場所を、私がそれまで見付けることなくいたということは
結局のところ、神保町を訪れるたびに、私の中でその日訪れるべき場所が強く他に固まって
しまっていたということなのかもしれないと感じました。

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階段を下りて店内に入ると、そこは正面にカウンターのある造りになっていました。
別珍使いの椅子が並ぶ落ち着いた店内は、気品のような空気が在るように感じました。



都市ごとに人々が喫茶店に期待する用途が異なるように、
都市ごとに、もっと言えば街ごとに、喫茶店の持つ矜持の持ち方は違うと思います。
多くの人が行きかう都市部の一角で、人は一時の憩いを期待する場面が多くなる半面で
郊外の喫茶店には、穏やかな休日の景色を求める場合が多くなるように思います。

仕事を持ち込みたい忙しい人を迎えるための場所。
仕事を忘れる一時の休息のための場所。
駅の近くで、人と待ち合わせるための一時を穏やかな時間として与える場所。
親しい友人や恋人と、一日の記憶を非日常として埋めるための場所。
もしくは、自分で自分を持て余した時にでも、訪れれば迎えてくれる安息所。
本を読みたい人の場所。
誰にも知られない一刻の自由を得るための場所。
『喫茶店』という一言の中には、そこを訪れる人の数えきれないほどの期待が収斂され
都市ごと、街ごとの表情の中で共存するために、喫茶店は自分の輪郭を整えていくのだと感じます。

己の休息を求める東京の喫茶室が、居心地の良さと気安さを重んじられる傍らで
喫茶文化が栄えている都市として、名前が挙げられる京都は主に
来客をもてなす場所としての喫茶店が繁華街の中に息づいていました。
なので、京都の喫茶室は、迎賓のための場所であることが多く、気品が求められたのだと思います。

私が、この店を訪れた時に感じた記憶に滲む感触は
京都で暮らした時の、個人の記憶の中からくる懐かしさだったのだと思います。



店内に入り、この店の空間に私の感じた懐かしさのような既視感について
同時期に京都で暮らした妹に伝えると、彼女も同じことを感じたと納得してくれました。

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メニューから、私は苦みの強いハイブレンドを。彼女はトロワブレンドとカボチャのプリンを。

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一口食べさせてもらったカボチャのプリンは
以前私が働いていた今はない名曲喫茶で手作りされていたものものと似た濃厚な舌触りでした。

私はトロワバグを訪れて、無意識のうちに何度も、名曲喫茶みゅーずを思い出していたのだろうと
今、こうやって書きながら感じました。
どこが似ていると論うことはできませんが、普段思い出すことのない記憶を想起させる
かつてのみゅーずにあった気品と気安さの共存する静かな空間を、東京の街で訪れることが
現実感のないような不思議な気持ちで受け止められたのだということが、今になってわかります。

平日の夜、先客も居ない店内で、私と妹は、色んなことを話しました。
姉妹でないと話せないこと。
家族でないと話せないこと。
同じ時期に京都で過ごしたお互いでなければ話せないこと。
お互いの人生についてのこと。
お互いに東京の街の中で働きながら暮らしているから話せること。
趣味の重なることについて。趣味の重ならないことを理解しながら尊重していることについて。
私の知らないことを知っている妹。彼女の知らないことを経験している姉としての私。

色んなことを話しながら、私は自分の輪郭を確かめようとしていたのかもしれません。
そして、彼女が一人の友人ではなく、妹であって良かったということを確認したのかもしれません。



そんな時間を過ごすことのできる喫茶室でした。
多くの人の行き交う神保町の交差点の傍らに、こんな場所があることを知っている人は
どのくらい居るのでしょう。

興味をお持ちの人は、訪れてみて下さい。
買った本を傍らに。
気の置けない話のできる誰かとともに。

トロワバグ
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by pinngercyee | 2012-08-13 18:33 | 東京
敢えて、取り上げるのも憚られるほど、有名な喫茶店だとは思うのですが
もし、御茶ノ水の駅前で、一息つける場所を探している人がいるとするなら
私は迷わず『穂高』の店名を上げます。
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穂高は、JR御茶ノ水駅聖橋口の改札を出て、すぐ右手の並びにある古い喫茶店です。
猥雑な飲食店の並びの中で、控えめに存在しているので
ぼんやり歩いていると、気付かず通り過ぎてしまいそうになります。

『穂高』という店名から、また山小屋を思わせる木造りの内装から
きっと何十年も昔から、山が好きな人が集まる場所だったのだろうなと思っていたら
マスターは串田孫一さんと交友があったと聞いて納得しました。

(個人的な話ですが、私の父も串田孫一氏の愛読者で、青春時代を東京の大学で過ごしながら
 長期の休みには北アルプスや東北の山を渡り歩いたという山男でして
 もしかしたら、父はこの場所を知っているかもしれないとふと思い出したりしました。
 普段、ほとんど会話しないから、父がどのような青春を送ったかということは
 断片的にしか知らないのですが、この場所が今も続いていることを知ると
 もしかすると喜ぶ人は一番身近にいるのかもしれないと、今初めて思いました。
 今度電話したら訊いてみることにしようと思います。)

店内奥の窓辺はJRの線路に面し、晴れの日、雨の日、雪の日、など
それぞれの表情を景色に滲ませます。
窓の外を眺めることのできる奥の席は特等席。
桜咲く季節の春の初めの甘い香気や、夏の高い青空と緑深く茂る草花、秋の薄い諦めの滲む雲と
冬の身を切る冷たさを窓の外に眺めて熱い珈琲を飲む幸せが供される喫茶室は
都内広しと云えども、ここを置いては他にいくつも思い出すことはできません。

店内奥の景色
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店内奥から入口を見た景色
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『穂高』を最初に知ったのは、沼田元気さんに写真を撮って頂いた時だったと憶えています。
それから何年も経ちますが、私はあれから何度この場所で休息したことでしょう。
もう思い出すこともできないほどの回数、私は御茶ノ水で下車する度に必ずここへ立ち寄り
その度に、息を整えて、静かな時間の流れを取り戻すことが出来ている気がしています。

神保町からの帰り道、古書を両手に抱えた日。
就職面接に向かう前。
三省堂で、作家である先輩の出版サイン会に行った折の帰り道。
友人との散歩の途中。
転職の時の、面接の後。
知人の公演チラシを置いて貰うために御茶ノ水のレコード店を訪れた帰り道。

それぞれの人生の折々で、それぞれの日の記憶が一生に一度のものであるということを
一つの場所で確かめるたびに、私はここで生きているのだということを思い出すように思います。

私の人生にとって折々で、息を整えるための御茶ノ水駅傍らの小さな喫茶店は
何十年も東京の真ん中で行きかう人々を見守り、憩いを与えてきたのでしょう。

この場所を訪れた人がそれぞれ重ねて来ただろう何十万のこの場所での小一時間。
暑さや寒さを抜けだした場所で、珈琲を頂いて、窓の外を眺める時。
または読みかけの本を取り出して、静かな気持ちで文字を追う時。
人はそれぞれに、自分の時間を取り戻し、高ぶった気持ちを静めて
穏やかな心を取り戻すのだと思います。


喫茶穂高
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by pinngercyee | 2012-07-16 15:42 | 東京
以前から、気になっていた場所がありました。

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飯田橋の駅前、歩道橋を渡り、UFJとみずほのATMのある場所から右手に進んで
一つ目の角を左に折れた裏通りに、その場所はあります。

『日本で初めてのパペット専門店』と掲げられたショーウィンドーの脇には細い階段があり
下から二階を見上げてみても、店内の様子は伺うことが出来ません。

(操り人形専門店、ってどんなものかしら)
(人形劇をやる人たちが出入りするお店かしら)

以前から、近くを通りかかる度に、暗い階段を覗いてみるばかりで
私は、実際にこの階段を踏みしめて上がる勇気を持てずに居ました。

失礼を承知で率直に白状すると、少し、少しですが、私は人形が怖いのです。
そう言ってしまうと、語弊があるし、決して全ての人形を怖がる訳ではないのですが
心から、何の屈託もなく、「人形が好きで」と言える人間ではないことは自覚しています。

人形という大きすぎる概念に対し、大雑把に怖いと言ってしまうのが失礼なのは分かっています。
美しい人形に目を離せなくなる経験も、恋のような感情を抱いた経験もありますが
それは自分にとっての特別な一体と向かい合う機会に恵まれた時だけで、普段の暮らしでは
私は多少、人形を避けて暮らしているといってもいいかもしれません。

そんな私が、なぜこの場所を訪れたのか。
一度通りかかって、足を止めて、階段の上を覗き込んだのか。
階段を上がらなかったその後にも、この場所のことを気に留めていたのか。

畏怖のような憧れがあったのかもしれないと、書いていて気付きました。
小説の題材には幾度か取り上げたこともある少女人形という概念。
球体関節で、姿勢を変えることが出来ると言っても自立はせず、永遠の姿の抜け殻である外形。
そういった私の中にある『人形』という概念を、この階段を上がることで
一から覆すことになるとは、階段の下で見上げていた時の私は、全く予期していませんでした。



雨の降る日に、ぽっかりと時間ができ、私は「どこか普段行かない場所へ行こう」と思い
この場所を思い出したのは、偶然ではなかったのかもしれません。

雨の降る6月の夕暮れほど、このお店を訪ねてみるのに相応しい時刻はなかったように思います。

お店の看板は掲げられ、二階へ続く階段は開かれていました。
一つ息をしてから、初めての雑貨屋を訪れる時くらいの気持ちだと自分に言い聞かせて
傘の雨を払い、階段を一つずつ登りました。

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先客は居ないようでした。
6畳ほどの小部屋は壁に沿って台が設えられており、糸で吊られた人形たちが
従順な表情で並んで居ました。
糸で吊られて立っているもの、腰を掛けているもの。
談笑しているように横を向くもの。放心しているように見えるもの。
それぞれの人形はそれぞれの表情をしていましたが、暗い印象のものは一つもありませんでした。

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人形と聞いて勝手にイメージしていた球体関節のような少女人形は殆どありませんでした。
添えられたカードにある作者名を見ると、外国の作家の作品も多く含まれている様子でした。

お伽話に準えられたもの、『赤ずきん』や『トロル』、宮澤賢治の『土神と狐』などや
デフォルメされたコミカルな表情の動物たち。
ピエロやお姫様、はたまた鬼のような面持ちのものたち。
子供の頃に読んだ、ロシアの絵本の挿絵のような顔つきのもの。

それぞれが一つ一つ、丁寧に彫刻刀で木から彫り出された四肢をもつもの。
プラスチックや石膏のような気配を見せるもの。ぬいぐるみのような布製のもの。

空調の入っていない店内で、額に薄く汗をかきながら、私は足音を立てないように
我を忘れて彼らの表情をひとつひとつ覗き込みました。
大量生産されるおもちゃ売り場の工場製の空虚なバービー人形とは違い
ここにある人形たちは、それぞれに愛情を持って作られたものであることが分かります。

私はいつしか、子供時代の頃のことを、思い出していました。
祖母の集める絵本の中で、あらゆる国のお伽話を読みました。
マザーグースにバーバヤーガ。ラプンツェルにグリム童話。ギリシャ神話に中国の昔。
ネパールの夜明けの話やミヒャエルエンデの描いた国の話まで。
テレビの中でしか知らないアメリカやイギリスと、絵本の中で知った国々の景色は
私にとって同じ距離、いえ、テレビの中の話よりも
絵本の中の景色の方が身近だったかもしれないと思います。
テレビの中にはニュースしかありませんが、絵本の中には登場人物が居て物語がありました。

それらの中で、かつて私にとっての世界だった見知らぬ国の住人たち。
日本でも、昔は忍者やサムライと同じく、山には鬼が生きていたのだと思っていたし
ドイツでは、ブクステフーデに国中の魔法使いが集まる会議があると知識として知っていた
幼少の私にとっての、世界の住人達と、大人になってから不意に出会った、という印象を
受けたように思います。

私の信じていた世界は、いつのまに、誰によって、否定されてしまったのでしょうか。
学校で歴史として学ぶ話と、伝承として残る昔話の違いは、どこだったのでしょうか。
大人になった私には、分かることでも、当時の私には、どうしても分からなかったことです。



「いらっしゃいませ」
声をかけられ、振り向くと男性が一人奥の部屋から現れました。
「こんにちは」
勝手に入って商品を覗き込んでいた決まりの悪さから視線を外して会釈をすると
男性は空調のスイッチを入れながら、
「ここにある人形は、全て動かすことを目的に作られていますから、動くんですよ」
と声をかけてくれました。

操り人形、なんだ。と思い出します。
糸に吊られた彼らの姿を見て、それでも動かない人形たちの姿を見て
私は「彼らが動くのだ」ということを、言われて初めて意識したように思います。

「せっかくだから、動かしてみますか。動いているのを見てみたいのはありますか?」
静かな口調で男性が問うてくれた言葉に甘え、私は壁際に立つ白い頬の少女人形を指しました。
切りそろえられた前髪と、長く垂らされた黒髪の、品の良い白いブラウスと黒いスカートの。
「これですね、はい」
男性は、彼女を吊るしていた取っ手を持ち上げ、定位置から彼女を床に導き下ろしました。
私はそれを、彼女がこれから動くということを、半信半疑の気持ちで見守りました。

数本の糸に吊るされていることを忘れてしまうほどに、滑らかに彼女が顔をあげました。
青い絨毯の床を、一歩、二歩。華奢な足で、まっすぐに踏んで、こちらに歩いてきます。
背筋を伸ばして、まっすぐに。
私は彼女から、視線を外すことが出来ませんでした。

スキップをしたり、うやうやしく歩いてみたり、彼女は数度の往来の後に
腰を折り、私に丁寧にお辞儀をして見せました。私もつられて彼女に頭を下げます。

「すごい、ですね……」
人形が歩くさまを、初めて間近で見たことで、私は語彙を失っていました。
それまで首を傾げたり微笑んだりはしゃいだりしていた少女は、男性の靴に腰を掛け
再び人形の表情に戻っています。

「操ってみませんか。自分の手で動かすと、神経が通うのが分かります」
手渡された木製の取っ手を、私は壊してしまわないか不安に思いながら受け取りました。

「まず、立った高さを見つけます」
取っ手を右手に持って、彼女の背後に立ち、男性の声に従って、彼女が自立できる高さを探します。
低すぎると、彼女は膝を折ったまま。
高すぎると、彼女の足が床から浮き、彼女の体重が急に重く感じられます。
取っ手を注意深く握りながら、自分の肘の折り具合で高さを探っていると
ふっと彼女が真っ直ぐに立てる高さが見つかります。

「その場で、そのまま足踏みをさせてみて下さい」
縦に持った取っ手と十字に交差する部分を親指で右にずらすと、足に繋がる糸が引かれ
彼女が片足を持ち上げました。
「そう、そのまま左に」
言われるままに親指で抑える場所を左にずらすと、彼女は足を下ろし、もう片足を持ち上げました。

「そうです、そのまま、高さを変えないようにして、左右にすると足踏みしますよ」
肘の角度を固定したまま、親指を左右に動かします。それに従い彼女は、従順に足踏みをしました。
私の手の震えは、そのままに。私の戸惑いも、彼女が従ってくれる喜びも全て
指先を通じて全て彼女に共有されていることを、確かに感じます。

「足踏みのまま、位置を前に進めると、歩きます」
私が歩を進めると、宙に浮いた彼女の足は勢い余ってブラブラと空中で大きく揺れました。
先ほど、男性が操っていた時には、まったく揺れなかったこともあり、幾分戸惑うと
「一週間も触っていると、神経が通います。触ったばかりでこれだけ動かせるのは立派ですよ」
と、声をかけられました。

男性の言った『神経が通う』という言葉は
触る前の私にとっては多少大仰に感じられたように思います。
でも、彼女を右手に従えて、私の震えも怯えも喜びも戸惑いも、全てが彼女に伝わると感じた後で
その言葉が、それ以上に正しく言い表せる言葉はないのだということまで理解できた気がしました。

「立った姿勢から、取っ手を前に倒すと、お辞儀をします」
「軽くお辞儀をした姿勢から取っ手の角度をひねると、顔が横を向きますよ」
「それから、両手は一本の糸でつながれていますから、左手で引いて」
「そうすると、自分の指先を見上げる姿勢になりますね」

私は彼女の黒髪の垂れる背中を見下ろしながら、言葉に従って彼女を操りました。
彼女は幾度かの試行の後に、首を傾げ、その指先を見つめました。

「……本当に、生きているみたいですね」
「ええ。ここにあるのは、動かして楽しむためのものたちですから」

この時、私は階段を上がる前までの、今までの人生を通じて抱いていた人形というものへの
漠然とした怖れや苦手意識が消えてしまっていることに気付きました。

「人形劇に使うためのものなのかと思っていました」
「劇に使うためには、もっと大きなものでないといけません。
 ここに居るのは、個人が操って、家でプライベートに楽しむためのものたちです」

私の右手から神経が伸び、私の感情を受け止めている少女が、家に居たら。
現在、自分の一部のように思われている少女が、再び私の手元から離れるということが
彼女を右手に従えた状態では、想像することも難しいように思われました。

「有難うございました」
一体が何万円もする高価な人形を、現実的に今は買えないということを思い出し
その感情を払拭するように、私は彼女を操る取っ手を男性に返しました。

「可愛いですね」
「ええ」
「私がお金持ちなら、彼女を連れて帰りたい気持ちなんですが、御免なさい」
「いいえ」
「また、覗きに来ても、いいですか」
「ええ、勿論。ぜひまた遊びにいらしてください」



男性にお礼を言い、壁際の元の位置に戻った少女の黒目がちな微笑みを一瞥して
私はこのお店を後にしました。

帰り道の電車の中で、彼女を操っていた右手の感触が、彼女と微かに神経が通いかけた感触が
まだ残っていることを感じました。
――この感触を、彼女と遊んだ今日の記憶を、忘れてしまわないように。
そう思い、私は彼女に会いに行くことを思いました。

例えば、親しい人の家を訪れる時、私は彼女とともに子供に会いに行きたいと思うかもしれません。
私がかつて、絵本の中の世界を信じていたように。
魔法を見ることのできる子供であるように。
そんなことを思いました。



興味が引かれた方は、階段を上ってみて下さい。
そして、目の合うものがあれば、操らせてみてもらってください。

指先に神経が通う感じ。
私は、雨の夕暮れにここを訪れなければ、一生知ることがなかったと思います。


操り人形専門店 Puppet House
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by pinngercyee | 2012-06-24 17:45 | 東京
夏の白いままの光を残しながら、今日は涼しい風が吹いて
久しぶりに外を歩いて嬉しくなるような日を過ごして
秋が来ることを思い出しました。

秋が来たら、バラを見に行こう。
そう決めたのは、東京に来て間もない頃に、深大寺の植物園に遊びに行ったのが切っ掛けでした。

バラは5月と10月に、花を咲かせます。
5月のバラは、寒さを越えて次第に暖かくなり、陽気に溢れる季節の中で
何の屈託もない子供のように、みずみずしい緑色の葉を伸ばしながら咲きます。
10月のバラは、少し乾いた薄水色の天を、諦めを込めて仰ぐように静かに咲きます。
どちらの景色も好きですが、強いて言うなら、冷たさを滲ませる前の予感のような乾いた空に
憂いを抱いたように在るバラの景色が美しいと思います。



『神代植物園』

調布市の深大寺傍らにある大きな植物園です。
京王線調布と、JR吉祥寺、JR三鷹の中間あたりにあり、それらの駅からバスが出ていたと思います。
敷物を持って行って寝転がりたくなる大きな芝生や
噴水を囲むバラのお庭、
高く伸びて影を落とす一面の森の木陰や
咲き乱れる南国の花に埋もれるガラス張りの温室、
園内そこここの季節ごとに咲く花々の茂みなど
歩くと一日かかるほどの広さの敷地に色んな景色が内包された場所です。

丹精に育てられているだろうバラにはそれぞれ品種が書かれたプレートが括り付けられています。
有名な昔の女優の名前をはじめ、「カール・ドルシュキ夫人」など個人の名前と思しきものまで。
バラの花は女性に例えられやすいのかなと思いながら一つ一つを見て歩いているうちに
大切に育てる世界で一つの品種のバラに、美しい人の名前を付けるって
なんてロマンチックなんだろうと思ったり、します。

深大寺に行くなら、お蕎麦を食べなくちゃなりません。
植物園の奥の森を抜けた先の裏口から出たその正面で
石臼で蕎麦粉を挽いているお店が、私の行きつけです。



バラを見るなら、もう一か所。
JR駒込駅から北へ歩いた左手にある『旧古河庭園』のお庭にも丹精されたバラが育てられていて
高台に建つクラシックな洋館の上に秋の青空が澄んで広がり
その下へ段々と続く庭園にはバラの植え込みが
その下へさらに続く木々が茂った日本庭園には影を伴った緑の匂いが立ち込める場所です。

私は建築には明るくありませんが、フランス式の庭と洋館の設計は
ジョサイアコンドルの晩年の作なのだとか。



上の二つには及ばないながら、JR国分寺駅から歩ける場所に
バラのお庭のテラスに座り、お茶を頂けるカフェがあるのは、余り知られていないように思います。

『イングリッシュガーデン・ローズカフェ』

郊外にあるため、出かけるとしたら一日がかりになってしまうけれど
今年は一度くらい出かけられたらいいなと思っています。



日常の慌ただしさに追われて日々を過ごすと、バラの季節は気づかぬうちに過ぎて行ってしまいます。
もう何度も無意識のうちに見送ってしまったバラを見る季節の午後の日を
今年こそは、明るく澄んだ秋の空の下に、ゆっくり過ごせたらいいなと思う今日この頃です。
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by pinngercyee | 2011-09-07 23:34 | 東京
自発的に三軒茶屋に行くことは、ほとんどありません。
ですが、時折、友人の展示など何かの用事で、立ち寄った時に
「三軒茶屋に来たんだから、せっかくだから寄りたい」と足を伸ばしてみるお店がいくつかあります。



絶対立ち寄りたいのは、キャロットタワー前の郵便局脇にある喫茶店『伽羅』。
路面向かいの小さなお店ですが、丁寧に淹れられた珈琲を前に、つかの間の憩いを約束してくれます。
木造りの店内と、清潔な白い壁。カウンタ奥に並ぶ、ひとつひとつ店主に選ばれたのだろうカップたち。
どんな天気のどんな日に訪れたとしても、この場所は静かで、変わりなく憩いを与えてくれると
来るたびに実感することができます。



できたら立ち寄りたいのは246から少し入った場所にある『セブン』。
ここは昔ながらの少し薄暗い喫茶店で、好き嫌いが分かれる場所かもしれませんが
私は、ここほど時間を忘れられる場所をあまり知りません。
ごはんがしっかり食べられて、座る席ごとに表情があって、少し時間を持て余した時に
ゆっくり過ごすための好い場所です。せっかくなら時間のある時に。



商店街を奥まで突き抜けたその先、住宅街に続く先端にある不思議なお店『フジヤマ』。
レコードや本や不思議なものを小さな店内の壁を埋めるように置いてあります。
ナゴムレコードとかの流れが中心なのかしらん。
中野のタコシェとか好きな人は、きっと心惹かれるんじゃないかしらん。
昔、ここのサイトのリンクにあった喫茶店ページのファンでした。(告白)



compound cafe
友人に会うならここが無難。渋谷にあるconceal cafe、下北沢のmois cafeの系列です。
三階建てのビルを階段ぐるぐる登ります。昔このビル、カラオケだったなーとか。
混んでなければいいお店です。せっかくだから寄りたくなります。



あ、あとカレーの『とんがらし』。
カウンターだけの小さなお店なのだけど、サフランライスで美味しいカレー食べられます。
ワイルドな印象なのは、近くにあるむげん堂の印象かなあとか。
長らく行っていないので思い出したら行きたくなりました。



エコー仲見世商店街に、面白い古本屋があった気がします。
あとアメリカンな雑貨屋もあった気がします。
クスクスが食べられるカフェもあった気がします。
今もあるのかどうかは知りません。

思いついたのはそんなところ。思い出したらまた書きます。
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by pinngercyee | 2011-09-06 00:40 | 東京