カテゴリ:短編小説( 6 )

 土日ともなれば満席になることがあるけれど、基本的に平日昼間の喫茶店の時間の流れは緩やかだ。ぽつぽつと席を埋めるお客はそれぞれに一人の時間を愉しむ人が多く、僕は彼らの時間を邪魔しないように、呼ばれた折にしか客席へ出ないことにしている。
 扉が開く。左右の手に駅前のデパートの紙袋をいっぱいに提げたおばあさんが4人、店内へ入ってくる。
「いらっしゃいませ」
 人数分の水とメニューをトレイに乗せ、僕は水に気を配りながら、彼女たちの選んだテーブルへ近付き小さく礼をした。
 彼女たちは僕の存在に気付いていない様子で各々の首に巻き付けたマフラーやモコモコした素材の上着を外すことに夢中だった。邪魔にならぬよう間から静かに水のコップを4つテーブルに下ろす。黒い別珍のワンピースを着たその中の一人がこちらに顔をあげて「ありがとう」と微笑んだ。
「ご注文が決まりました頃にまた参ります」
 会釈を返してテーブルの中央にメニューを広げ、彼女たちがそれを覗き込む後ろから声をかけてテーブルを離れた。
 僕が離れると同時に花が咲いたように彼女たちが歓談を始める。
「わたしね、フレンチトーストにする。決めてたの」
「プリンアラモードですって!」
「ケーキもいいわね」
「わたしホットケーキがいいわ」
「アイスクリームもあるわよ」
「コーヒーにする?」
「紅茶がいいわ、温かいミルクティー」
 遠ざかる背後から聞こえる声は、学校帰りの娘たちのもののように思えて微笑ましく、私は頬からこぼれそうになる笑みを保ったままカウンターへ戻る。彼女たちも何十年か前は、白い靴下をはいた女学生だったんだな。革の重い鞄を提げて、髪の毛を三つ編みに束ねて、放課後に甘いものを食べに来る娘たち。時間は流れて姿は変わっても、彼女たちは何も変わっていないのかもしれない。恋をしたり、結婚をしたり、出産をしたり、子供が大きくなったりする時間の流れがあったとしても、平日のお昼間に待ち合わせてお買い物をし、甘いものを食べて笑いあう姿は娘たちのままの気配を残している。可愛らしいな、と素直に感じて私は笑みをこぼした。
「……何笑ってるんですか?」
 怪訝な顔をした少女に「え、いや、」と口籠り、「何でもないよ」と答える。この子も何十年かの人生を経て、あんな可愛いおばあさんの一人になるんだろうか。そんなことを言ったらこの子は怒るんだろうかと思いながら。

(元我堂出版冊子『ランプ』第3号より再掲)
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by pinngercyee | 2013-08-03 23:04 | 短編小説
「暖かくなりましたね」
 公園を見下ろす窓際の席へ紅茶を運んだ際、そう声をかけられて目を上げた。
 木製のカウンターに頬杖をついた品の良い女性は、僕がカップを置き、ポットから紅茶を注ぐまで目を瞑って店内の音楽に耳を傾けていたようだった。
「本当に。春の気配がしますものね。先週まで、前の道には雪が残っていたんですよ」
「今、流れている音楽は、何ていう曲かしら? 思い出せなくて。今日みたいな暖かい春の日にすごく似合っていて素敵ね」
 紅茶を注ぎ終わり、背を伸ばして僕も耳を傾けてみる。聞き覚えのあるバイオリンと軽快に重なるピアノの音。
「ええと、……ちょっとお待ちください。見てきます」
 ステレオの前に行き、再生中のCDのジャケットを見る。……シューベルトのピアノ五重奏曲『ます』だ。なるほど、と得心する気持ちで客席に戻り、静かに紅茶を愉しむ彼女にタイトルを伝える。
「『ます』、ね。すっきりしたわ。有難う」
 嬉しそうに微笑む女性の表情に安堵し、「ごゆっくりお過ごしください」と言葉を残して僕も厨房へ戻る。
 言われてみると、今日の黄色に滲んだ春の雰囲気に、似つかわしい音楽なのかもしれないと思う。澄んだ水の流れのようなピアノの旋律の上をゆるやかに照らす春の光。水に反射する輝き。春の匂いの暖かい風。木々の落とす影。そういったものに准えてみると、耳に馴染んだクラシックが、今日の日の記憶を残すためにあるように思えて嬉しくなる。
「何話してたんですか?」
 皿を拭いていた少女がこちらに顔を向けた。
「ああ、あの窓際のお客さんにね、この音楽は何かって。今日の雰囲気にすごく似合うって」
「本当ですか、嬉しい」
 店内の音楽は、その時折に少女がCDを選んで流している。クラシックに素養のない僕はあまり注意を傾けたことがなかったのだけれど、彼女はその時々で流したい音楽があるようだった。
「わたしも、今日みたいな暖かくて嬉しい日は、これしかないと思って選んでたんです」
「そうなんだ」
 少女は皿に視線を戻し、嬉しそうに頷く。
「この曲を聴くと、春が来たんだなって嬉しくて。……春の光って明るい黄色をしていて、カステラみたいじゃないですか? わたしこの曲聴くと、カステラが食べたくなるんです」
 予想外の言葉に一瞬戸惑いつつも、「食べ物に准えるところが、女の子なんだな」と面白く思えて、僕は笑いながら「そうかもね」と言葉を返した。

(元我堂出版冊子『ランプ』第3号より再掲)
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by pinngercyee | 2013-08-03 23:03 | 短編小説
「――牛乳、切れてますね」
「え、そう?」
「私、ちょっと買ってきます。マスターは豆を焦がさないで下さい」
「……はい、行ってらっしゃい」

店内に影を落とす公園の緑の色が、いつの間にか少し淡くなっていると、少女の走り出す後ろ姿をカウンターから見送って気付く。白い灼熱にも似た光が幾分の影を抱き始め、耳の内側を無意識に痺れさせていたアブラゼミの声も、気付かぬ内にヒグラシのものに変わっている。
こうやってこの夏も、悲しいくらいささやかな影を残して、いつのまにかいなくなってしまうのだなあ、なんてことをぼんやりと考えていると、ドアを開くベルの音が鳴った。
「いらっしゃいませ」
 氷を浮かべた水と、メニューを持って、窓際の席に荷物を置く初老の男性に声をかける。店内から見ているだけでは想像も付かないほど、外はまだ暑いらしく、麦藁帽を脱いだ男性はタオルで顔を拭った後、置いたばかりの水を一気に飲み干した。
「外は暑そうですね」
「テレビではそろそろ涼しくなるっていうけどね、いやもう全然」
 時折この店を訪れる人だ。いつも買い物帰りらしい本の包みを抱えて立ち寄ってくれる。
「ゆっくりしていってください。……アイス珈琲でいいですか?」
「そうだな、うん。……いや、今日はソーダを貰おうか。ソーダにする」
 いつもアイス珈琲を注文する男性は、珍しくメニューを覗き込んだかと思うと、ぐるりと見回したのちに、頼んだことのない注文をした。
「ソーダは、ミントとグレナデンがありますが」
「グレナデン?」
「柘榴のシロップです。赤くて、珍しいかもしれませんね」
「じゃあ、珍しい方を貰おうか」
「かしこまりました」
 一礼してメニューを下げる。男性は顔を扇ぎつつ目を細めて頷いた。
店の中には焙煎中の豆が、濃厚な香りを漂わせ始めている。もう少しかかるな、と内心で先刻の少女の忠告を思い出す。

 グレナデンシロップの赤色は美しい。砕いた氷をシロップで浸し、炭酸水を注ぐと底に溜まったシロップと澄んだ水面のような炭酸水の濃淡のまどろむ一杯ができる。
「お待たせいたしました」
 男性は目の前に置かれたグラスを暫し無言で覗き込んだ後、「良い、色だね」と言った。
「混ぜてお召し上がりください」
「有難う」
 窓際に差し込む光に、汗をかいたグラスの表面が光を宿す。男性は、それを指でなぞり、嬉しそうに小さく笑みをこぼした。

「何に似ているのか、分かったよ」
 会計の折、男性にかけられた言葉の意味が分からず、私は顔を上げた。
「さっきのソーダだよ。夕暮れの赤に似ているんだ。ずっと夕焼けの赤を何に喩えればいいのか迷っていたけど、これからは『グレナデン』色と言うことにする」
「そうですか」
「いつもね、あの深くて澄んだ濃い赤を、何の色かと考え続けていたんだ。おかげで長年の悩みが解決したよ」
「良かったです。またお待ち致しております」
 うん、と頷き、男性は店を後にした。私はそれを暖かく嬉しく見送りながら、ふと、何か忘れているような不安を覚えた。

(元我堂出版冊子『ランプ』第2号より再掲)
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by pinngercyee | 2013-08-03 23:02 | 短編小説
「……焦がさないでくださいって、言ったのに」
 戻ってきた少女に叱られ、私は苦笑して居住まいの悪さを誤魔化しながら皿を拭いた。
「でも、お客さん、喜んでくれたなら、良かったですね」
「うん」
「グレナデンのシロップの色が、夕焼けの赤に似てるって、すごい発見なのかも」
 私に向かって言うというよりは、自分に向かって独り言を言うように、少女は頷いた。

「夕暮れとか、朝焼けとか、一瞬で真っ赤になって、一瞬で消えてしまうじゃないですか」
「そうだね」
「昼だとか、夜だとかは、あんなに長いのに。だから私、夕暮れや夜明けは、ちょっと怖いです」
「怖い?」
「はい。昼と夜の境目だから、一瞬で真っ赤に染まるのに飲みこまれてしまうと、人くらい簡単に消えてしまいそうで」
「怖いことを言うね」
「考えたこと、ないですか?」

 私はイタリアンローストを通り越して真黒に焦げてしまった豆を焙煎機から出し、生豆の分量を量って焙煎機を再び動かし始めた。
 少女は先ほどの買出しで買ってきた荷物を片付け、厨房に入って何かを煮ている。
「何作ってるの」
「牛乳寒天です。小さい頃によく食べたなって思い出して。上手くできたらメニューに入れて下さい」
「いいよ」
 窓の外はいつの間にか夕暮れを通り越して、夜の気配の薄暗闇に浸り始めている。
「……グレナデンの色に似てるか、見てやろうと思ってたのになあ」
 一人ごちると、少女が寒天を煮溶かす鍋から顔を上げた。
「グレナデンは、思いつかなかったですけど、私、夕焼けの色は、彼岸花の赤に似てると思ったことならありますよ」
「彼岸花か。そういえば、もうすぐ咲くね」
「気が付くと半袖で歩けないくらい寒くなって、ストーブを焚いたら、すぐに年末です」

 寒くなり始めると、店前の往来は速度が速まる。道行く人は肩を窄めて上着を着込み、少し前のめりに早足で歩くようになる。寒さに耐えるというよりは、少しでも早く、暖かい自分の居場所に帰り着きたいと思っているのじゃないかな、と私はそれを見て思うことを思い出す。
 まっすぐに前を見て、こんな小さな店があることに気付きもしない人も居るだろうな、と思う。そんな中に迷い込むように、初めてここを訪れるお客さんには、暫しの暖かな居場所を与えてあげたいと思っていたことも思い出す。
 贅沢なものは用意できないけれど、熱くて美味しい珈琲と、懐かしくて安心する食べ物が少し用意できれば。それで訪れた人が喜べば、どんなに幸せなことだろうと、店を始めたばかりの頃の気持ちを不意に思い出す。
 少女が作った牛乳寒天は、甘い牛乳の香りをさせる懐かしい白さの素朴なものに出来上がった。
 「メニューに加えてみようか」と言うと、少女は相好を崩して喜んだ。私はそれを見て、この場所の穏やかな幸せを、改めて思った。

(元我堂出版冊子『ランプ』第2号より再掲)
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by pinngercyee | 2013-08-03 23:02 | 短編小説
「私ねえ、桜が散る季節の夜中に一人、公園でお酒を飲むんです」
 窓の外の陽気を見ながら、不意に少女が言い出した。
「そんなことしたら、危ないんじゃないの」
「大丈夫なんです。この公園は、夜中でも人がいますから」
「まあ、人は居るでしょうけど。感心しませんね」

 少女はふふふ、と笑い、苦い顔をする私を見返す。
「どうして一人なんですか。お友達と行けばいいでしょう」
「ダメなんです。一人でないと。一人で真っ暗闇の中を散る桜を見るのが大事なんです」

「一人で桜が散っていくのを見て、お酒を飲んで、寂しくはならないですか」
「寂しくは、ならないです。ただ、遠い気持ちになります」
「遠い気持ち?」
「はい。普段見ている毎日の景色や、思ってることを忘れてしまって、何かを思い出すような」
「いつもは思い出さないようなことを、考えるの?」
「そうです。それが特別で、本当に大切な、ことなんです」

「例えば、どんな」
「雨が降れば、全部散ってしまうとか。私が今生きているってこともそんな簡単なものなのかもとか。」
「ほう」
「妹が生まれる前の、私が家族で一番のお姫様だった頃のこととか」
「そんなこと覚えているんですか」
「覚えていませんけど、思い出すかもしれないでしょう」
「……それから?」
「ええと、そうですね。あ、あとマスターのこと思い出すかもしれませんよ」
「僕のことですか」
「ええ。マスターはきっと、映画に出てくるみたいな口ヒゲはやすと似合うと思います」
「……口ヒゲですか」
「はやさないんですか?」
「……考えておきます」

 暖かく強い風が、店の前を吹き抜けてゆく。
 この店の奥から、この春の初めの景色を見るのは、何回目になるだろうと思う。
 今年もまた、春が来る。
 桜が咲いて、人が集い、息つく間もなく世界は春を迎える。
 せめて私一人くらいは。春を迎える前日の今日を、ずっと憶えていようと思った。

(元我堂出版冊子『ランプ』第1号より再掲)
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by pinngercyee | 2013-08-03 23:01 | 短編小説
 春先の夜。桜が咲くにはまだ早い夜。
 冬の名残の澄んだ夜闇に、白くぽっかりと浮かぶ、洋灯のような花を思い出す。
 どうしても名前が思い出せない。
 重力に逆らうようにまっすぐ天を向いて、白く気高く孤独に咲く、――あの。

 そんなことを、給仕をする少女の横顔を見ているうちに、考えていた。
「マスター、お湯、沸いてますよ」
「……え、ああ」
 ガスの炎を弱めて、もう一度頬杖をつく。

 そういえば、春休みに入った頃だろうか。最近になって、大学生のような若者が、店の前を往来するようになった。
 もう少しもすると、まだ桜も咲かないというのに、昼夜問わず公園に人が溢れて、にぎやかな嬌声が響く季節になる。

「お客さん、来ませんねえ」
 皿を拭きながら、少女が言う。
「まあ、いつもこんなもんでしょう」
 店の軒先の陽だまりで日向ぼっこをする猫の背中を見ながら応える。

「珈琲、もう一杯もらってもいいですか」
「ああ、いいよ」
 誰のために温めてあるのかもうよく分からない白い陶器のカップに、なみなみと珈琲を注ぐ。
「ありがとうございます」
「うん」

 横を向き、カップに唇を付けた少女の伏せられた睫毛を見て、夜闇に見上げた木々の葉先を思う。
――不意に、さっき思い出そうとしていた花の名前を思い出す。

「ああ、木蓮だ」
「……え、何ですか?」
「いや、何でもない」
こちらを向き直った少女の視線を交わすように、私も目を伏せて珈琲を啜る。

――そうだ、白木蓮だ。
彼女の横顔、白い頬を見て思い出した花は。

(元我堂出版冊子『ランプ』第1号より再掲)
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by pinngercyee | 2013-08-03 23:00 | 短編小説