【20140502京都行脚2】百万遍 進々堂
色濃く澄んだ青空から、白い光が強く注ぐ京都の朝に、私は旅行鞄を持ったまま再び歩き出しました。
――千本今出川からなら、201番のバスで百万遍に行ける。
十年ほど昔に住んでいた時の記憶と知識で、私は京都の街の中を迷わずに歩けることを
今になって役立てていることを感じます。
次の目的地は決まっていました。百万遍、今出川と東大路の交わる十字路はそう呼ばれ
ただの交差点の地名と言うよりも、京都大学の存在する場所として、知られている場所になります。
鴨川に沿って地下を走る京阪電車の終点駅、出町柳から少し奥に入った場所。
そのあたりは、私が京都で初めて部屋を借りて、二年間を過ごした地域でもありました。
土地勘は全くない状態で、どうして通っていた外大からバスで40分もかかるような左京区に
部屋を借りようと思ったのかと言うと、ただ単に、「仲良くない同級生に遊びに来られたくなかった」から
という理由だったのですが、そんな理由でも、私は京都の中でも、出町柳に住むことができたことは
とても幸運だったと今になって思います。今から京都に引っ越して、部屋を探すとしたら
私は再びまた左京区に住みたがると思います。
京大の向かいにある古いパン屋が併設された喫茶店『進々堂』は、立派なブーランジェリーとして
チェーン展開をしている『進々堂』とは別の存在で。私は出町柳に住んでいる時に
少しの背伸びする気持ちを胸に、休日の朝ごはんを自転車に乗って食べに来ていた場所でした。
時折言われる「京都はパリに似ている」という言葉で、アカデミックな気難しさのある静謐さ、のような
そんな空気を持っているのは『進々堂』が最もたる場所なのかもしれないなんてことを思います。
有名なお店なので、観光客も多いのだろう、と覚悟をして久しぶりに見る進々堂の古い扉に手を掛けると
「全席禁煙」「撮影禁止」という紙が掲げられていることに気付きました。
お客を逃がすこんな文言を店の前に掲げてしまうというところが京都らしさかもしれないと思い
朝ごはんの後に煙草を喫えないことと、せっかく訪れた場所を写真付きで紹介できないことへ少しの
落胆を覚えながら、私は「この緊張感のある張りつめた空気を、私は訪れたかったんだ」と
帰って嬉しいような、懐かしいような気持ちになったことを書いておこうと思います。
京都を訪れる度に私が必ず頂く「美しい朝ごはん」はイノダコーヒの『京の朝食』ですが
ここ、京大北の進々堂で頂く朝ごはんも、格別に清楚で美しい食事だと思っています。
パン屋だということに加え、カレーもあるためメニューに幅はあるのですが
私が頼むのは『プチデジュネ』という名前のセットです。
どうしてプチデジュネに憧れのような執着を覚えるのか、理由は思い出せないのですが
雑誌か何かで「憧れの美しい朝ごはん」として紹介されていたものを読んだような気もします。
付された言葉を裏切らない慎ましく清楚な美しい食事、そしてそれを頂く場所としての重厚で清楚な緊張感。
そういったものに、私は恋をしたのだったかもしれません。
――京都に住んでいた頃は、本当に自分に自信がなくて劣等感が強かったから、すぐに何かに憧れて、それに似合う自分でなければならないと、強く自分を戒めて雁字搦めにしてしまっていたことを不意に思い出します。
それは苦しい時代でした。京都には私を背伸びさせた場所が多く存在し、私は苦しくても心から「こうあるべき」というものと向かい合うことのできた禁欲的な時代だったとも思います。それは京都という土地の持つ揺らがぬ美意識や文化が、私を律してくれたということなのかもしれないと今になって思います。
5月の朝の、幾分ひんやりとした空気が静かに沈殿する店内は、私の記憶の通りの場所でした。
店内に6つほどある黒田辰秋の作という十数人が腰掛けられる大きさのテーブルには
視線を交わさない場所に座った来客が数人、それぞれが本を読んだりして朝の時間を過ごしています。
木造校舎の図書室のような店内中央に、一段高くなっているカウンターはタイル貼りで
飾り気のない二人の女性が楚々とした様子で働いていました。
「プチデジュネを」
「コーヒーにミルクを入れても」
「はい、大丈夫です」
小さく会釈をして、カウンターへ戻る女性の背中をぼんやりと視線で追いながら
この会話をすることも、久しぶりであることをぼんやりと思いました。
京都の珈琲は、濃く、重く、そして店によってはミルク入りであること。
私が珈琲というものの味を覚えたのは、働いていた今はもうない名曲喫茶みゅーずの
ずっしりと重く、砂糖を加えるとねっとりという形容すら似合う濃さの珈琲でしたが
お客として頂く一杯として、あの頃に飲んでいた珈琲は、例えばフランソアの
例えばイノダの、例えばスマートの、ミルク入りの珈琲でした。
――そういえば、ここもミルクの入った珈琲を出す京都の喫茶店なのだった。
そんな記憶の中に辿りきれていなかった、けれど、とても良く知っている香りの
ミルクの油分を少し含んだ珈琲に、私は、遠い日の記憶を見たような気がしました。
間もなく手元に届いた木製の盆に乗った朝食は、イングリッシュマフィンと珈琲
それにガラスの器に入った野菜添えのあっさりとしたポテトサラダです。
まだ温かいマフィンを両手に持って、指先にざらつく粉をこぼさぬよう注意を払って一口齧ると
塗られたばかりの溶けたバターと、ぎっしりとした密度でマフィンに閉じ込められた小麦の香ばしさが
鼻の奥をくすぐるのを感じます。
私がまだ、少女と呼ばれても相違なかった頃に、清楚さに憧れた慎ましく美しい朝ごはん。
この場所に、このお店が続いて行く限り、私は少女の頃の片思いに再会することができるのだと
そんなことを考えたように思います。
――千本今出川からなら、201番のバスで百万遍に行ける。
十年ほど昔に住んでいた時の記憶と知識で、私は京都の街の中を迷わずに歩けることを
今になって役立てていることを感じます。
次の目的地は決まっていました。百万遍、今出川と東大路の交わる十字路はそう呼ばれ
ただの交差点の地名と言うよりも、京都大学の存在する場所として、知られている場所になります。
鴨川に沿って地下を走る京阪電車の終点駅、出町柳から少し奥に入った場所。
そのあたりは、私が京都で初めて部屋を借りて、二年間を過ごした地域でもありました。
土地勘は全くない状態で、どうして通っていた外大からバスで40分もかかるような左京区に
部屋を借りようと思ったのかと言うと、ただ単に、「仲良くない同級生に遊びに来られたくなかった」から
という理由だったのですが、そんな理由でも、私は京都の中でも、出町柳に住むことができたことは
とても幸運だったと今になって思います。今から京都に引っ越して、部屋を探すとしたら
私は再びまた左京区に住みたがると思います。
京大の向かいにある古いパン屋が併設された喫茶店『進々堂』は、立派なブーランジェリーとして
チェーン展開をしている『進々堂』とは別の存在で。私は出町柳に住んでいる時に
少しの背伸びする気持ちを胸に、休日の朝ごはんを自転車に乗って食べに来ていた場所でした。
時折言われる「京都はパリに似ている」という言葉で、アカデミックな気難しさのある静謐さ、のような
そんな空気を持っているのは『進々堂』が最もたる場所なのかもしれないなんてことを思います。
有名なお店なので、観光客も多いのだろう、と覚悟をして久しぶりに見る進々堂の古い扉に手を掛けると
「全席禁煙」「撮影禁止」という紙が掲げられていることに気付きました。
お客を逃がすこんな文言を店の前に掲げてしまうというところが京都らしさかもしれないと思い
朝ごはんの後に煙草を喫えないことと、せっかく訪れた場所を写真付きで紹介できないことへ少しの
落胆を覚えながら、私は「この緊張感のある張りつめた空気を、私は訪れたかったんだ」と
帰って嬉しいような、懐かしいような気持ちになったことを書いておこうと思います。
京都を訪れる度に私が必ず頂く「美しい朝ごはん」はイノダコーヒの『京の朝食』ですが
ここ、京大北の進々堂で頂く朝ごはんも、格別に清楚で美しい食事だと思っています。
パン屋だということに加え、カレーもあるためメニューに幅はあるのですが
私が頼むのは『プチデジュネ』という名前のセットです。
どうしてプチデジュネに憧れのような執着を覚えるのか、理由は思い出せないのですが
雑誌か何かで「憧れの美しい朝ごはん」として紹介されていたものを読んだような気もします。
付された言葉を裏切らない慎ましく清楚な美しい食事、そしてそれを頂く場所としての重厚で清楚な緊張感。
そういったものに、私は恋をしたのだったかもしれません。
――京都に住んでいた頃は、本当に自分に自信がなくて劣等感が強かったから、すぐに何かに憧れて、それに似合う自分でなければならないと、強く自分を戒めて雁字搦めにしてしまっていたことを不意に思い出します。
それは苦しい時代でした。京都には私を背伸びさせた場所が多く存在し、私は苦しくても心から「こうあるべき」というものと向かい合うことのできた禁欲的な時代だったとも思います。それは京都という土地の持つ揺らがぬ美意識や文化が、私を律してくれたということなのかもしれないと今になって思います。
5月の朝の、幾分ひんやりとした空気が静かに沈殿する店内は、私の記憶の通りの場所でした。
店内に6つほどある黒田辰秋の作という十数人が腰掛けられる大きさのテーブルには
視線を交わさない場所に座った来客が数人、それぞれが本を読んだりして朝の時間を過ごしています。
木造校舎の図書室のような店内中央に、一段高くなっているカウンターはタイル貼りで
飾り気のない二人の女性が楚々とした様子で働いていました。
「プチデジュネを」
「コーヒーにミルクを入れても」
「はい、大丈夫です」
小さく会釈をして、カウンターへ戻る女性の背中をぼんやりと視線で追いながら
この会話をすることも、久しぶりであることをぼんやりと思いました。
京都の珈琲は、濃く、重く、そして店によってはミルク入りであること。
私が珈琲というものの味を覚えたのは、働いていた今はもうない名曲喫茶みゅーずの
ずっしりと重く、砂糖を加えるとねっとりという形容すら似合う濃さの珈琲でしたが
お客として頂く一杯として、あの頃に飲んでいた珈琲は、例えばフランソアの
例えばイノダの、例えばスマートの、ミルク入りの珈琲でした。
――そういえば、ここもミルクの入った珈琲を出す京都の喫茶店なのだった。
そんな記憶の中に辿りきれていなかった、けれど、とても良く知っている香りの
ミルクの油分を少し含んだ珈琲に、私は、遠い日の記憶を見たような気がしました。
間もなく手元に届いた木製の盆に乗った朝食は、イングリッシュマフィンと珈琲
それにガラスの器に入った野菜添えのあっさりとしたポテトサラダです。
まだ温かいマフィンを両手に持って、指先にざらつく粉をこぼさぬよう注意を払って一口齧ると
塗られたばかりの溶けたバターと、ぎっしりとした密度でマフィンに閉じ込められた小麦の香ばしさが
鼻の奥をくすぐるのを感じます。
私がまだ、少女と呼ばれても相違なかった頃に、清楚さに憧れた慎ましく美しい朝ごはん。
この場所に、このお店が続いて行く限り、私は少女の頃の片思いに再会することができるのだと
そんなことを考えたように思います。
by pinngercyee
| 2014-05-23 05:49
| 京都