文学フリマ直前予告『マズロウマンション』

「幾分、変わった物件ではありますが、賃料は破格の安さになっておりますし、お客様の御希望には添えるのではないかと」
 くるくると渦を巻く髪を顔の前に垂らした仲介業者の男は、机の上の写真を見下ろしたままで私にそう告げた。



 紹介された物件の名は『マズロウマンション』と言った。私が仲介業者の男に連れられそこへ到着したのは日が落ちる時間になってしまってからだった。

「……ピアノをお弾きになるんですか?」
 応接室の壁際に建て付けられたアップライトピアノを見て、私は昨夜の闇の中で聞こえたピアノの音を思い出した。


私は何故、伯爵から逃げるように旅を続けているのだろう?

「来週ね、私の誕生日なの。それでね、『あの人』にね、『私の誕生日の前の日の夜に、ピアノを弾きに来てください』って頼んだら、『いいですよ』、だって!」


「僕の目があと一つ残っているから、あと二回だね」


「この建物を出る決心をしたならば、その時は少しでも早く、動きなさい。あなたの命そのものが、この建物に飲みこまれてしまう前に」

暗闇は、訪れたのではない。日中も、陽光が差し込みきらないこの建物の中、物陰のそこここに沈黙を保って潜んでいたものだ。夜が来ると、それらはじわじわ滲みだすように色を濃くして、周囲を侵食していって、気付かぬうちに全てのものを飲みこんでしまう。


私はグスタフの言葉の続きを待った。
「あなたは、どうです」
「……何が、ですか」
「マズロウマンションの、真実の姿を、知りたいと思いますか」


「行けない、……だって」
 彼女の唇から言葉がゆっくりとこぼれて落ちる。


「知ってるわ、何もかも。あなたにはお話したことがなかったけれど、私は魔女なの」
 マリベルは目を見開いた。


 ――これが総て、私の夢だったらいいのに。

「いいわ、マリベル。あなたの願いを叶えましょう」



文学フリマ、明後日11月4日月曜日です。
新刊『マズロウマンション』1000円です。
【A-03】ブースにて、お待ちしております。
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by pinngercyee | 2013-11-02 23:42 | お知らせ