短編小説【喫茶店の話 ④夏の終わりの牛乳寒天】

「……焦がさないでくださいって、言ったのに」
 戻ってきた少女に叱られ、私は苦笑して居住まいの悪さを誤魔化しながら皿を拭いた。
「でも、お客さん、喜んでくれたなら、良かったですね」
「うん」
「グレナデンのシロップの色が、夕焼けの赤に似てるって、すごい発見なのかも」
 私に向かって言うというよりは、自分に向かって独り言を言うように、少女は頷いた。

「夕暮れとか、朝焼けとか、一瞬で真っ赤になって、一瞬で消えてしまうじゃないですか」
「そうだね」
「昼だとか、夜だとかは、あんなに長いのに。だから私、夕暮れや夜明けは、ちょっと怖いです」
「怖い?」
「はい。昼と夜の境目だから、一瞬で真っ赤に染まるのに飲みこまれてしまうと、人くらい簡単に消えてしまいそうで」
「怖いことを言うね」
「考えたこと、ないですか?」

 私はイタリアンローストを通り越して真黒に焦げてしまった豆を焙煎機から出し、生豆の分量を量って焙煎機を再び動かし始めた。
 少女は先ほどの買出しで買ってきた荷物を片付け、厨房に入って何かを煮ている。
「何作ってるの」
「牛乳寒天です。小さい頃によく食べたなって思い出して。上手くできたらメニューに入れて下さい」
「いいよ」
 窓の外はいつの間にか夕暮れを通り越して、夜の気配の薄暗闇に浸り始めている。
「……グレナデンの色に似てるか、見てやろうと思ってたのになあ」
 一人ごちると、少女が寒天を煮溶かす鍋から顔を上げた。
「グレナデンは、思いつかなかったですけど、私、夕焼けの色は、彼岸花の赤に似てると思ったことならありますよ」
「彼岸花か。そういえば、もうすぐ咲くね」
「気が付くと半袖で歩けないくらい寒くなって、ストーブを焚いたら、すぐに年末です」

 寒くなり始めると、店前の往来は速度が速まる。道行く人は肩を窄めて上着を着込み、少し前のめりに早足で歩くようになる。寒さに耐えるというよりは、少しでも早く、暖かい自分の居場所に帰り着きたいと思っているのじゃないかな、と私はそれを見て思うことを思い出す。
 まっすぐに前を見て、こんな小さな店があることに気付きもしない人も居るだろうな、と思う。そんな中に迷い込むように、初めてここを訪れるお客さんには、暫しの暖かな居場所を与えてあげたいと思っていたことも思い出す。
 贅沢なものは用意できないけれど、熱くて美味しい珈琲と、懐かしくて安心する食べ物が少し用意できれば。それで訪れた人が喜べば、どんなに幸せなことだろうと、店を始めたばかりの頃の気持ちを不意に思い出す。
 少女が作った牛乳寒天は、甘い牛乳の香りをさせる懐かしい白さの素朴なものに出来上がった。
 「メニューに加えてみようか」と言うと、少女は相好を崩して喜んだ。私はそれを見て、この場所の穏やかな幸せを、改めて思った。

(元我堂出版冊子『ランプ』第2号より再掲)
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by pinngercyee | 2013-08-03 23:02 | 短編小説