LIPHLICH『MANIC PIXIE』考察

LIPHLICHの新譜が出ました。


私、このCDが出るのを本当に楽しみにしていて。
単純に一人のファンとして彼らを応援する意味で、というのも勿論あるのですが
それよりも、この『MANIC PIXIE』という曲の全容が見えなくて。
それを確かめたい気持ちの方が強かったかもしれません。

このCDを手に取って歌詞を読み、初めて腑に落ちたというか気付けた部分に関して
紐解きながら、書いてみたいと思います。



冒頭部で、馬車を思わせる足音が緩やかに近付きます。
それらの行進を統べる笛の音が響き、ドラムロールが添えられ
昔の白黒映画のようにメインフレーズが差し挟まれます。
"just see the given meanings" "everybody's singing yesterday"

舞台の背景は、19世紀のイギリス・ロンドンかもしれないと思いました。
CD盤下に引用されたコナンドイルの言葉が引用されていることも関係しているかもしれません。
確かにホームズとワトソンが謎解きに奔走した、霧雨煙る薄暗い19世紀のロンドンの街の
交通手段は馬車だったはずです。

そこから激しく鞭を打たれ、坂を駆け下りるようにして加速していく馬車は
退屈な沈黙に馳せ参じた「どこかしらへ連れて行ってくれる夢の馬車」でした。
「ドグラでマグラな感性が代金(チケット)」「夢の先へ行きたくてのめり込んだ」
『ドグラマグラ』は(今更説明するのも憚られますが)日本推理小説三大奇書の一つである
夢野久作の小説のタイトルです。
ですがこの場合は、この小説を指すというよりも
『ドグラマグラ』原義となった『堂廻、目眩』という形容を指すと考えたほうが
相応しいかもしれません。

MANIC PIXIE(=躁病の妖精)と重ねられる主人公を乗せた馬車は生き急ぐように
自分をときめかせる(心から「良いと思える」)何かを貪欲に求めて
「Let's RUSH Let's RUSH」と次の街へと加速を続けます。
「あれも嫌だし、これも嫌なの、わがままっしぐら」
「何にも良いと思えないから こちらが良いと思いたいから」

「途中見た流行りの喧騒はきっと馴染めないと気付いてしまった すぐ移動」
「乱痴気騒ぎ屋と安売りの踊り子 『結構です』 振り払って次の街」

「とてもじゃないが全てを認める度量など持ち合わせていないから」
「吐いた毒で咳き込んだ時も、弱さを認め、懲りず又言う『やっぱり嫌だ』と」

「夜道を照らす街灯はずっと曲がりもせず先も見せずにどこまでも続く」

こうやって歌詞に準えて聞くと、この歌が謎解きをするまでもなく、明快に
一つのテーマを冠していることを知ることが出来ます。
無粋を承知で、言葉に置き換えてしまうと、『MANIC PIXIE(躁病の妖精)』は
世の中の物差しに従わず、自分にとっての素敵なものを自分の目で探し出すということへ貪欲に
生き急ぐ一つの生きる姿である(そしてそれは誰にでも当て嵌めることのできる生き方である)と
いうことなのかしら、と思います。



ここからは、音楽面に関して感じたこと。
ライブ会場で、この曲を初めて聞いた時には、めくるめく展開を息を飲んで見送るままで
ただひたすら「すごく凝って作りこまれたトリッキーな曲」だという印象を持ちました。
今回、やっと音源として初めて全体を把握し、音に集中して聴いてみて
やはり「凝った構成のトリッキーな曲」という印象は正しかったんだな、と思いました。

目をつむって聴いていると
からくり屋敷の中に目隠しをされて放り込まれ、手探りで謎解きをしている気分がします。
密度が高くて洒落が効いている傍らで、音で描かれる世界が密封されていると感じます。
そして、暗闇の中で手を伸ばし、触れるもののひとつひとつが楽器の完成された音の個体で
それが目眩く速さで流れ去っていくのを指先で触れている感触が、本当に楽しいと思いました。

RUSHという言葉に相応しく、叩き込まれるように刻まれる音はいくつ重ねられているのでしょう。
全く隙間がありません。
怒涛の展開の中、小さな隙間が空いたと思うとその場所には新しい音がふいっと差し挟まれています。
小さな隙間は偶然できたものではなく、効果的に音を差し挟むために意図的に作られたものだということ。
この音楽に含まれる膨大な情報量の音は何一つに至るまで、総て意識下に統率されて
存在理由を含んだ上で従えられているということが感じられます。

以前からのLIPHLICHの音楽は、音楽として一つ一つの音を際立てるというよりも
音を用いて幻の完成形を構築していくのに重点を置いたものに近かったと思うのですが
このMANIC PIXIEに関しては、幻を隙間なく構築するのと同じ重さで
一つ一つの音を最大限に効果的に際立てようとしている意図が感じられました。
幻としての輪郭線を踏み越えることすら、怖れていないんじゃないかと思わせるくらいに。
一瞬ごとに目まぐるしく立ち替わる主役のように、正面に立つ楽器が入れ替わります。
時に統率を取り、時に叩きつけるように展開する局面それぞれに徹底されているのは
PVのラインダンスのように、完璧主義とも思えるほどの統率された意識だと思います。

その上で、際立つ音。
間奏を導く流麗なピアノ。幾度も水面で繰り返される激しいギターのフレーズ。
差し挟まれる馬車の足音。
叩きつけられるように、また時に遠くから響き、また時にすぐ近くで響くドラムの刻む秩序。
それを支えるようにうねりながら掬い取るベースの倫理。
一つの音像を描いたかと思うと一瞬で軽快に解けて、こちらを煙に巻くような。

何度聴いても、本当に飽きないです。面白い。



続いて二曲目。『グロリアバンブー』いきます。
マニックピクシーで頑張りすぎたので、こちらはさらっと。すいません。

何かを齧り、咀嚼する音で幕を開ける『グロリアバンブー』は
ギラギラした光を纏いながら軽快に艶めかしく展開されていきます。
マニックピクシーと違う意味での、トリッキーさを感じる、気がする。。

さらにトリッキーで艶めかしく危ういんだけど、芯に一つ秩序だったうねりがあって
それが全くブレない、と思いました。
装飾的な音がどれ程にトリッキーでゴージャスでも、芯に秩序があれば音楽として
めちゃめちゃ素直に体に浸透していくものなのだなあ、と感じました。

音像としてのイメージは、都会の裏通り地下にあるクラブで催される夜毎の狂乱みたいな感じ。
原色の光が眩しく入り乱れて、酒とドラッグでぼやけた頭で半裸の女の子を眺めたり
耳内を染める音楽に踊り狂ったりする夜中の気持ち。朝になったら魔法が解ける場所の幻。
そんな場所のことを、思い描きました。これは、私の勝手なイメージですが。

ギターとベースが効果的に配されていて、格好いいことが特筆。



三曲目『古代に捧ぐ』は趣が変わり静かで、とても美しくシンフォニックな曲でした。
シンフォニックに深遠に響きながらも、やっぱり密度が高いと感じました。
一つ一つの音の射程距離を全て正確に測って、消えた瞬間に別の音で絡め取り続けてる気がします。

音像としては、後光の差した揺らがない存在、みたいなものがイメージされました。
でも歌詞を見ると、「どうすれば楽になれるかな」と不安に耐えながら惑いを抱え
一切の虚飾を排して、必死に前を向く人間が描かれています。
「この讃歌はただ目の前にいる君に いつまでもただ寄り添っているだけ」

「人は いつも全てをくれる いつも全てを奪う」
「愛情と憎しみと成功と過ちと強さと怖さと優越と劣等と」
「安心と焦りと答えと迷いと助けと非常と笑顔と泣き顔と」

間奏に差し挟まれるギターの音はとても柔らかく、滴に濡れた植物の葉のように有機的でした。

この三曲目に関しては、これだけ大きいテーマに正面から向き合って
それに相応しい質の大きさで作品にすることの力量を強く感じました。



とてもざっくりとした個人的な感想になってしまいましたが
誰かがLIPHLICHの音楽に手を伸ばす切っ掛けになれれば嬉しいです。

想像以上に長くなってしまいましたが、読んで下さってありがとうございました!
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by pinngercyee | 2013-03-31 00:02 | 音楽