自由学園明日館講堂を満たす幻 『青葉市子独奏会』

最近、素敵なものを見る機会がいっぱいあって、
「忘れないうちに、薄れないうちに、書いてしまわなきゃ」と思っていて
書かなきゃいけないと思ってるうちに時間が経ってしまっていて
そうすると頭の中でイメージが蓄積されてぱんぱんになってしまうのですが
ひとつずつ、形にしていくしかないので、ひとつずつ、ここに書いていこうと思います。



先日、11月25日に目白の自由学園明日館に青葉市子ちゃんの
コンサートにお誘いいただき、見に行ってきました。

a0223987_17433125.jpg

a0223987_198159.jpg


この日は、今年ずっと彼女が続けていた『旅のうたびこ独奏会2012』の最終公演だったらしく
開演ギリギリの時間に私が明日館に着いた時には、会場はとなる講堂の中は
多くの人で隙間なく埋め尽くされていました。
a0223987_17494058.jpg


「市子ちゃんの音楽は、こんなにも多くの人に届いて、愛されてるんだなあ」とふと思いました。
数年前に、西荻窪サンジャックで、市子ちゃんの演奏を初めてみた日のことを思います。
出演予定だった日比谷カタンさんが来られなくなった代わりに登場したギターを抱えた少女を
私を含めた会場の中に居た人は、ぽかんとしたまま迎えたように思います。
その時も。
その時も市子ちゃんが壇上の椅子に座り、弦に指をかざして吐息のような声を出した瞬間に
その場にいた人は、一人残らず息を飲んだのではなかったかと思います。
私は空中に音と声で描かれていく幻を当時「飴色の糸」と形容した覚えがありますが
その飴色の糸は、市子ちゃんの音楽が旅をして、いろんな場所で演奏される度に
遠く多くの人のとところへ間違いなく届いていったのでしょう。
たった数年前、三年もたつかどうかわからないくらいの時間のうちに彼女が遠くまで旅をして
多くの人と出会い、多くの人の前で幻を描き、笑顔に満ちた時間を過ごしてきたのだろうと
開演を待つ人々の後姿を二階席から見下ろしながら思いました。

客席内の電気が落ちて、壇上に市子ちゃんが姿を見せます。
小さく礼をして、ギターを抱え、奏で始められた曲は、数年前に私が初めて見た日に聴いた
『不和リン』導入部のみるみるに速度を増すさざめきのような旋律でした。

秩序立ちながらも生きているように緩急のある波のようにさざめくギターの上に
市子ちゃんが囁くように柔らかな声を高い天井の下の中空に響かせていきます。

会場内の椅子に身を沈めた数百人は、息を飲むのも憚られるほどの静寂を保って
その様を見守りました。
集中を途切れされてしまったら、その幻に取り残されてしまう気すらして。
歌われる言葉のひとつひとつに輪郭取られる意味と言うものが中空に漂う繊細な音楽の
いえ、音楽と言うよりも、その場の中を染める空気全てに色付けられた情景を背景に
結ばれては流れて、光を宿し、掻き消えていくさまが目に耳に、確かに見えるようでした。

「彼女の音楽を前にすると、息をすることも忘れる」ということを、今の今まで
忘れていたこと、そしてそれを現に今、目の前で確かめていることを、客席の一つに座る私に
もう一人の私が耳打ちしているような気持ちがしました。

続いて演奏されたのは、『腸髪のサーカス』『ココロノセカイ』。
これらも三年前、市子ちゃんが当時演奏を始めた時期だったというあの日に聴いた歌です。

風が吹いているようなギターの音にあおられるようにして澄んだ声が伸びていきます。
ギター一本で奏でられているということを忘れてしまうくらいの音楽が
みるみると、その場所を塗り替えていくさまが見えるようでした。
風に吹かれる場所。暖かい日の差し込む埃の溜まった人の居ない場所。一人きり歩く少女の姿。
さざなみを立てる空気。小さく吐かれた祈りのような吐息。果実の香り。

フランクロイドライトに設計されたという明日館の三角の形をした天井の下で
透明で蜜色の光を帯びた幻が、一人きりの少女の吐息と、刺繍をするように
またはタップダンスを踊るように奏でられる音楽を幻に結んで解かれていきます。

『光蜥蜴』。
お伽話を囁くように夜の街の光景を歌うこの歌が「光と影」を捩ったものであることを
当時、私は彼女のCDを入手して暫くたってからやっと気付くことができたことを思い出します。

『日時計』。
「まわる まわる 日時計の まわる まわる 日時計の 影」
数年前の日に、この歌を新曲として初めて耳にした時にも圧倒されたギターの強さ。
「まわる」という言葉に導かれるようにして
その場を強力に撹拌するように怒涛の流れを作るギターの音。
その時、三角の天井の下の空間に座る数百人の頭上に、私は確かに渦を巻く力を見ました。
濁りすら伴いながら、スリリングに強く強く渦を巻いて、だけど一瞬で掻き消えてしまう音の幻。

『遠いあこがれ』。
私が小学生の頃にテレビでやっていた『楽しいムーミン一家』のEDテーマだったこの歌を
市子ちゃんは、優しく優しく、澄んだ声で歌います。
白鳥恵美子さんとは違った、市子ちゃんの澄んだ柔らかさで、爪弾く伴奏を含めて包むことで
この歌がどんなに優しい歌だったのかということを、改めて知り、味わうことができる気がします。

『繙く風』で一部は締めくくられました。

「私は一人に見えますが、旅をして、いろんな場所でいろんな人に会って
 いろんな気持ちや思い出や仲間を、ポケモンみたいに引き連れています」
そう言った市子ちゃんの笑みに、会場の中の人々は、素直に心打たれたのではないかと思います。



ワンピースから白いブラウスに着替えて市子ちゃんが再び壇上に現れると
それまでざわめいていた会場の中の気配が、水を打ったように澄むのが見えました。

『レースのむこう』から再開された演奏会は、先ほどの一部よりも会場の中の空気が
澄んだままではありましたが、柔らかさを帯びていたように思われました。

『IMPERIAL SMOKE TOWN』。
水面に滴りを落とすように、ざわめきを含んだ低い旋律が、薄暗い街を思わせます。
暗い情景の中、市子ちゃん演じる少女の声が「人間はどこ?」と問いかけるのを見守ります。

新曲、と言われた『誰かの世界』と『MARS2027』という近未来の情景を経て
『私の盗人』『イソフラ区ボンソワール物語』へ。
炎に焼かれてしまう覚悟を決めた少女の物語を息を止めて見守った後は
師匠という山田庵巳さんの『機械仕掛けの宇宙』カバーに続きました。

この歌を演奏してみたくてギターを手に取ったという市子ちゃんの歌う『機械仕掛けの宇宙』を
耳にしたのは、私にとって初めてのことでした。
山田さんに紡がれた紡いだ長い物語は、市子ちゃんの音楽を成立させて引き継がれ
歌われてゆきます。

そして二部の締めくくりとなる『奇跡はいつでも』。
「奇跡はいつでも 誰にだって 微笑んでいるわ」
手繰り寄せるように、暖かい祈りと祝福を吹き込むように、奏でられ歌われるこの音楽が
この場所を満たしていくのが見えるように思いました。
三角の天井の下で、その祈りを見守る観客を、その上空の高さのある天井一杯までもを満たして
緩やかに爪弾かれるギターの音と、響きの消えた後の空白と、細く柔らかく強い声の祈りが
歌われて、二部は締めくくられました。



壇上を去った後、観客から巻き起こった拍手に呼び戻された市子ちゃんは
アンコールとして、二曲の歌を演奏しました。

一曲目の『エスケープ』は、人と出会う中で影響を受けて生まれた歌、と添えられました。
今まで、私の知っている市子ちゃんの音楽を喩えて言うならば
立ち止った場所で周囲の情景を変えていくものだとしたら、この歌は
強い力で疾走していくエネルギーに満ちて、どんどん前に進んでいくもののように思われました。
走るのではなくて、滑走に近いような。鳥の視点で、水面近くをすごい速さで滑っているような。
こんな視界すらも見せてくれることに驚きながら、私はその音楽の欠片すらも聞き逃したくなくて
深く息を飲んだことを憶えています。

二曲目は、『ひかりのふるさと』。

揺るがぬ強さの清浄な光に満ちた情景が、歌とギターを使って描かれていきます。
「きらきら きらきら 光って ひとつに」



小さく礼をして市子ちゃんが壇上を去った後、頭上の電気が付き、客席はざわめきを取り戻して
幻燈の会場となっていた明日館の室内は、ライトが設計した建築としての表情を取り戻して
市子ちゃんの音楽を見守っていたこの寸時の間に、数時間もの時間が流れていたことを知りました。

a0223987_19541579.jpg

a0223987_19554111.jpg

a0223987_19593768.jpg


祝福に満ちた幻が描かれ、消えた後の会場を名残を惜しんで見上げるように
多くの人が立ち止っていたのが印象に残っています。
時間が経っていたことが嘘みたいな。
この場所の中を満たした市子ちゃんの音楽の圧倒的な存在感と、美しさ。
ここで見た、奇跡のような一時を、思い返して、胸がいっぱいになるのを感じながら
私は帰途につきました。

素晴らしい夜でした。素晴らしい場所と、素晴らしい音楽の、ある夜でした。
市子ちゃん、素敵な夜に、お招きくださってありがとう。
ご挨拶した時に、気持ちがいっぱいで、上手く伝えられなかったけど、とても素晴らしい夜でした。
[PR]
by pinngercyee | 2012-12-06 20:08 | 音楽