船の中の記憶

十年ほど前、大学を辞めて京都でふらふらしていた頃
私は半年に一度のペースでたびたび北海道を訪れていました。
京都の北部にある舞鶴から小樽へ船が出ていて
「時間はいくらでもあるけど、お金はあんまりない」生活をしていた私は
片道6000円程度で30時間船に揺られて北海道へ行けるこの船が大好きでした。

船に揺られている30時間は苦痛ではありませんでした。
携帯の電波は届かなく、一番安い二等客室は大部屋で一人になれる空間もありませんでしたし
私が船で北海道に渡る時はだいたい一人きりで話し相手も居なかったのですが
30時間というぽっかり空いた時間があると覚悟さえしてしまえば、楽なものでした。
窓の外はるか水平まで続く海原を飽きるまで眺め、
船の床から伝わってくるゴウンゴウンという唸り声にも似たモーターの音に慣れた後は
眠りたいだけ眠り
読もうと思いながら時間が取れなかった本に没頭して読んでしまい
歩きたくなれば船の中を探検して
海に向かったロビーでお酒を飲んだり、売店で買ったパンを食べたり
銭湯みたいな大浴場を楽しんでみたり
消灯後の、人々の寝息の気配のする暗闇の中で、イヤホンで音楽を聴いていました。



その時聴いていた音楽は、今もよく憶えています。

「船は海をゆく とても遠くへ 過去と未来より 飛ぶ風を蹴って」

船で過ごした時間を思うたび、耳の奥でこのフレーズが静かに甦ります。
小沢健二の『球体を奏でる音楽』をCDのプレイヤーに入れて来たのに特に意味がある訳ではありませんでした。

「過去から未来から 誰も皆 時を合わせる 遍く年月の 響きを重ねて」

穏やかな音楽に乗せられたその歌詞の音を何度も聴いているうちに
その言葉の音が音である以上に意味を持って結実していくように思えました。

大学を辞める前、つらい時期を経ていたこともあり、過去は過去として触れたくないものであり
大学という居場所や立場を失った何でもない自分が、このまま生きていける場所があるのかという未来への不安もあり
私は、現在の、その前も後ろも敢えて見ないようにしていました。
考えれば考えるほど絶望的なことしか思い浮かばない時期で
「なるようにしかならないんだから考えても無駄」と思考停止を自分に課しているような時期でした。

その歌を思い出して、今になって思うことは
私はあの時、誰からも何処からも切り離された一人きりの海の上で
「過去から 未来から」と歌う声を聴いて
自分が「過去でもなく、未来でもない」現在に生きているのだ、と自覚したということです。

通り過ぎてしまった過去にも、何の確証もない未来にも、どうやっても手は伸ばせないけど
自分が見ている景色の現在には、いくらでも手を伸ばそうとすれば、手を伸ばすことができるということ。
書いてしまうと当たり前すぎてつまらなく思えてしまうようなことですが
過去の悪夢に捕われて怯え、未来の不安へ身動き取れなかった当時の自分には
何より大切なことを気付かせてもらえた船中の暗闇の中の音楽でした。



「船は海をゆく とても遠くへ 過去と未来より 飛ぶ風を蹴って」というのは
小沢健二のアルバム『球体の奏でる音楽』の中の『旅人たち』という歌です。
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by pinngercyee | 2011-09-11 02:47 | 記憶