色
小学校で同級生だった柴田さんという女の子が居ました。
ある日、彼女が私に言った言葉が、20年も経つ今も、
あの日のままに私の時間を止めている、と思い出すことがあります。
*
まだ何も書かれていないノートの紙面を指さして、柴田さんは私に
「これ、白いよね」
と、言いました。
私は何の疑念も迷いもなく、
「うん、白い」
と応えました。
教壇の上に立ち、背中を向けて黒板を消す教師の後姿を指さして
「あの、先生のブラウスって、紺色だよね」
と言いました。
「うん、紺色」
私は再び、肯きました。
夏休みの近い時分の教室の窓から見える空を見て
「青いよね」
と言いました。
「うん」
「黒板って、黒板って言うけど、緑色だよね」
「そう言えば、そうだね」
「良かった」
*
そこまで私に同意を求めてから、柴田さんは少し安堵したように息を付き
呟くように続けました。
「あのさ、もし、自分に見えている色と、他の人が思っている色が、本当は違ったら、怖くない?」
「どういうこと?」
「『赤』って名前だけど、私が思っている『赤』は、他の人が見たら『青』かもしれない
葉っぱは『緑』っていうけど、私が見ている『緑』を、他の人は『黄色』って呼ぶかもしれない。
空は『青い』って言うけど、私が信じてる『青』が、本当は『紫』なのかもしれない。
そんなこと、誰も確かめられないから、誰も否定できないでしょう?」
私は、考えたこともないことを指摘され、返す言葉に詰まってしまいました。
「名前が一緒だから、誰も気づかないの。実は「空は青」「草は緑」って言っても
みんな本当は違う色を見ていて、私だけ、間違った色を、見ていてたらどうしようって
時々ものすごく怖くなる。」
*
それまで私は何の迷いも疑念も抱かず
「みんな同じものを見て、同じ名前で呼んでいる」のだと信じていました。
それが普通なのかもしれません。
自分の見ているものが、他の人にも同じように見えている確証なんて
確かに言われてみれば、どこにもありません。
ただ同じ名前を共有しているだけのこと。
本当に、みんなの言う『青』は、本当に『青』なのか。
みんなの言う『茶色』は、私の見ている地面の色なのか。
*
柴田さんの言った一言で、あの日私の時間は一度止まったように思います。
あの日、私は彼女を安心させてあげたかった。
「考えすぎだよ、大丈夫だよ」と言ってあげたかったけれど
そんな根拠のない気休めでは、柴田さんどころか、私も納得できないことは
よく分かっていました。
あの日から、私は彼女に何と答えれば良かったのか、ということを
ずっと考え続けているのかもしれません。
大人になってしまった彼女が、今、どこでどんな人生を歩んでいるかも知らないけれど
彼女自身が、もし、忘れてしまっていたとしても
あの日の彼女に、私はいつか、納得のいく答えを返してあげたいな、と思うのです。
ある日、彼女が私に言った言葉が、20年も経つ今も、
あの日のままに私の時間を止めている、と思い出すことがあります。
*
まだ何も書かれていないノートの紙面を指さして、柴田さんは私に
「これ、白いよね」
と、言いました。
私は何の疑念も迷いもなく、
「うん、白い」
と応えました。
教壇の上に立ち、背中を向けて黒板を消す教師の後姿を指さして
「あの、先生のブラウスって、紺色だよね」
と言いました。
「うん、紺色」
私は再び、肯きました。
夏休みの近い時分の教室の窓から見える空を見て
「青いよね」
と言いました。
「うん」
「黒板って、黒板って言うけど、緑色だよね」
「そう言えば、そうだね」
「良かった」
*
そこまで私に同意を求めてから、柴田さんは少し安堵したように息を付き
呟くように続けました。
「あのさ、もし、自分に見えている色と、他の人が思っている色が、本当は違ったら、怖くない?」
「どういうこと?」
「『赤』って名前だけど、私が思っている『赤』は、他の人が見たら『青』かもしれない
葉っぱは『緑』っていうけど、私が見ている『緑』を、他の人は『黄色』って呼ぶかもしれない。
空は『青い』って言うけど、私が信じてる『青』が、本当は『紫』なのかもしれない。
そんなこと、誰も確かめられないから、誰も否定できないでしょう?」
私は、考えたこともないことを指摘され、返す言葉に詰まってしまいました。
「名前が一緒だから、誰も気づかないの。実は「空は青」「草は緑」って言っても
みんな本当は違う色を見ていて、私だけ、間違った色を、見ていてたらどうしようって
時々ものすごく怖くなる。」
*
それまで私は何の迷いも疑念も抱かず
「みんな同じものを見て、同じ名前で呼んでいる」のだと信じていました。
それが普通なのかもしれません。
自分の見ているものが、他の人にも同じように見えている確証なんて
確かに言われてみれば、どこにもありません。
ただ同じ名前を共有しているだけのこと。
本当に、みんなの言う『青』は、本当に『青』なのか。
みんなの言う『茶色』は、私の見ている地面の色なのか。
*
柴田さんの言った一言で、あの日私の時間は一度止まったように思います。
あの日、私は彼女を安心させてあげたかった。
「考えすぎだよ、大丈夫だよ」と言ってあげたかったけれど
そんな根拠のない気休めでは、柴田さんどころか、私も納得できないことは
よく分かっていました。
あの日から、私は彼女に何と答えれば良かったのか、ということを
ずっと考え続けているのかもしれません。
大人になってしまった彼女が、今、どこでどんな人生を歩んでいるかも知らないけれど
彼女自身が、もし、忘れてしまっていたとしても
あの日の彼女に、私はいつか、納得のいく答えを返してあげたいな、と思うのです。
by pinngercyee
| 2011-08-16 00:09
| 記憶